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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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プロレスラーで、プロレスリング・ノア代表取締役社長の三沢光晴氏が
13日、広島県立総合体育館グリーンアリーナでの試合中に頭部を強打。
意識を失い救急車で広島大学病院に搬送されるもそのまま還らぬ人となった。
享年46。


「三沢が死んだ」
突然そう言われても受け入れられないどころかまるで実感がない。

橋本真也が死んだときもショックだったが、
死因とは別だったとはいえ、橋本は病床についていた事実もあったが、
三沢はまるでそんなことがなかっただけに、
試合中の事故と言われてもリアリティがまるでない。


この日の三沢の試合はメインエベントのGHCタッグ選手権試合。

第17代王者
齋藤彰俊、バイソン・スミス
VS
挑戦者
三沢光晴、潮崎豪


三沢は試合中に齋藤バックドロップを受け、
その後意識を失ったらしい。

レフェリーは試合を止め、各選手がリングに集まる中、
リング上心臓マッサージなどの応急処置が施される。

通報の6分後にかけつけた救急隊員も応急処置後、
病院に搬送されたが意識を戻すことはなかったという。


試合中の事故がきっかけでレスラーが死亡してしまったことは、
残念ながら思いつくだけでも他にも数件あるが、
この件を耳にして、まず脳裏によぎったのがハヤブサの事故の時の映像。

ロープワークを巧みに使い、華麗な飛び技を得意にしていたハヤブサは、
足をロープに滑らせ転倒。
救急車が到着するまで、故・荒井社長を中心に
リング上で介抱されるも半身不随に。
一命はとりとめたものの、現在もまだリハビリ生活中である。

ハヤブサほどの巧者が、天才があんなことになってしまったのは
非常にショックだったし、その映像は見ていられない。


今回も救急車が到着するまでリング上で
応急処置がされていたという状況も一致しているし、
受け身にも定評がある三沢ほどの実力者、天才レスラーが
試合中の事故で死亡だなんて、想像すらつくわけがない。


巡業中のノアは、三沢も中止は望んでいないはずだとして
予定されている全ての興行を開催することを決定。
翌14日に行われた博多スターレーンでの興行も決行。
超満員の中、試合開始前には追悼式が行われた。

結果として最後の対戦相手となってしまった齋藤彰俊は
入場時からすでに泣いていたようで、
試合終了後には三沢の遺影に向かって涙の土下座。

彰俊の気持ちはプロレスファンなら痛いほど解るし、
会場の観客もそんな彰俊に逆に激を飛ばしてくれたというのは
悲痛だがせめてもの救いか。
誰よりも辛いだろうが、彰俊にはなんとか乗り越えてほしい。



私にとっての三沢は、2代目タイガーマスクとしての印象が強かった。
逆にいえば、私にとってのタイガーマスクは佐山よりも三沢だった。

長州クーデターや天龍離脱以降、
あまり全日本を、もっと言ってしまえば
プロレス自体を観ることはなくなったが、
それからしばらくして、「超世代軍」と呼ばれる
三沢世代の奮闘が全日本の新たな魅力となり、
それが「四天王」として定着する頃には
私もまたプロレスに戻っていた。

かつて三沢自身が語った
タイガーマスクから素顔に戻った理由がそこにはあった。
つまりはジュニアのイメージの払拭と、
マスクマンのキャラクターとは別の
本来の三沢光晴としての存在感。

エルボー一発で会場を沸かすことができる三沢。

試合運びや技のキレなど全てが一級品だった三沢。

タイガーマスク時代よりも体が大きくなり、
年齢と共に欠けてしまう機敏さを覆すかのように
ここ一番で飛ぶ威力とその完成度、センスの良さ。

馬場死亡後にレスラーや社員、ファンからの圧倒的な支持を得て
全日本内紛から見事ノアを旗揚げしてみせた人間力と行動力。

ファンなら知っている下ネタ大好きな単なるエロオヤジな
愛すべきキャラクターの三沢。

それは全てが三沢の魅力だった。



死因はご家族以外には通知されていないとのことで、
今のところは不明。
時期が来てまた解明されていってはほしい。

ノアは日本テレビの地上波打ち切りなど、
経営的にも打撃を受けており、
経営者である三沢には心労もあっただろう。

逝ってしまうにはまだまだ早すぎるし、
ただただ悲しくもまだ実感が沸かないが、
安らかにお眠りください。





三沢光晴

1962/6/18/ - 2009/6/13
享年46歳

ご冥福をお祈り致します。



MITSUHARU MISAWA

May He Rest In Peace...










 

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かねてから行こう行こうと思っていた『ルーヴル美術館展』が
今日で閉幕するということで、やっとのこと上野の国立西洋美術館へ。

東京では2つの『ルーヴル美術館展』が開催されていて、
「17世紀ヨーロッパ絵画」が
日本テレビ主催で2/28~6/14まで上野で、
「美と宮殿の子どもたち」が
テレビ朝日主催で3/25~6/1まで六本木で、
という内容。

ちなみに前者は京都に場所を移して9月まで、
同じく後者も大阪に移動して9月まで開催されるとのこと。

私が行ったのは「17世紀ヨーロッパ絵画」の方ですね。





http://www.ntv.co.jp/louvre/


17世紀と時代も区切られていたし、
絵画とテーマも絞り込まれていたので
前から六本木の方じゃなく上野の方に行くことに決めてました。


美術館なんて行ったのはどのくらいぶりだろう…。
正直絵画や彫刻など、音楽以外の「アート」にはかなり疎くて
なんとなく「いい」とか「好き」とかそういうレベルなので。
描く方も苦手なので、どうして描けるのかなと、単純に不思議だったり…。
多分不思議に思う分、多少の興味はあるようです。


今回は目玉的な作品であるフェルメールの「レースを編む女」
を中心に、71点中60点は日本初公開ということらしく、
有名度よりも、「まだ見ぬ知られざる作品を一挙公開!」
というのが売りだったのかな。

私的には比較的マニアックなチョイスよりも、
有名なのが「ドカン!」と飾ってある方がインパクトもあって
作品そのものの印象もより残ったのかもと思ったりもして…。
基本ミーハーですので。
そう考えると数年前のダヴィンチ展は行かなかったのが悔やまれるな…。

いやいや、そうは言いつつも、
お陰でなかなか興味深い絵画たちを鑑賞することができました。

しかしガイドのイヤフォンをしつつメモを取る
熱心な方々の姿もチラホラ見受けられて、
勉強してる方や知識があったりすると、
見方も変わるんだろうなーなどと感心しつつも、
自分なりには全体の雰囲気を満喫できたので
それはそれで良かったかなーと。

キャンバスに塗られた絵の具の微妙なタッチを間近で見られたり
バロック独特の表現を生で感じられたのはやっぱり貴重だよなーって。
ひたすら感心することしきりでした。


一番印象に残っているのは
アントーン・ファン・ダイクの「プファルツ選帝侯の息子たち」。





右側、多分弟君?、親近感が沸くというか、
なんだか複雑な心境…、みたいな…。(!?)


しかし最終日ということもあってか、尋常じゃない人、人、人…。
まさかの2時間待ち。
鑑賞時間は約1時間半くらいだったかなー。
1時間半に対して2時間待ち…。
ディズニーランドとかよりはマシなんだろうけど、
行列大嫌いなのによく2時間も並んだよ、自分…。

雨が心配されたけど、軽く降られたくらいで
ギリギリOKだったのは助かったというか、せめてもの救いでしょうか。


ということでやっぱりバロックは面白いなーと堪能してきたのでした。
たまにはこういう嗜みは必要よね。



超久々に私の愛車、バルカンクラシックさん1,500ccを洗車。
いつ以来かまったく思い出せないほど。
いかんですな…。

ちょっと前に書いたけど、今まで洗車してた所が
何故か使えなくなっていたため、
夜中に移動して洗車遠征。(笑)
暗くてよく解らなかった!
当たり前ですね…。

しかし軽くでもいいので本格的に梅雨になる前に
一回ちゃんと洗車しておきたかったのですよ。
とりあえずスッキリで気分サッパリです。

しかし皆どこで洗車してるんだろうか…。
今更ながら、二輪って結構悩み多き乗り物よね…。



連日報道されているのでご存知の方も多いとは思いますが、
たとえ似非でも何でもピアノ好きと公言し始めた人間には
なんだかタイムリーというか、感動を与えてくれるニュースが。

日本人で盲目のピアニスト、辻井伸行さんが、
ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで見事優勝。
ゴールドメダル獲得の快挙を成し遂げた。

ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールは、
モスクワで開催される世界三大コンクールの一つと言われている
チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、
ヴァン・クライバーン氏が創設した、
テキサス州フォートワースで4年起きに開催されている
世界的にも有名なピアノコンクールらしい。

1962年に始まった同コンクール史上、
日本人の優勝は今回の辻井さんの優勝が初。


辻井さんは1988年生まれの現在20歳。
生まれたときから視覚に障害があったらしい。
幼少の頃にピアノの音に興味を示したことがきっかけで
ピアノを始めたんだとか。

以降、天才的な才能を開花させる。

1995年に7歳で
全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部で1位を受賞。
1998年、10歳の時に本名徹次氏指揮、
大阪センチュリー交響楽団と共演でコンサート・デビュー。
2005年、17歳で世界三大コンクールの一つである
ショパン国際ピアノコンクールに出場し批評家賞を受賞。
2008年にはラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番」を
佐渡裕氏の指揮でベルリン・ドイツ交響楽団と共演、
CDもリリースされている。


障害がある方の中には他の感覚が極端に優れている方もいらっしゃるようで、
辻井さんのように視覚に障害があっても聴覚が物凄く優れていて、
「目が見えないのにどうして?」
と思わせる、普通に考えて不思議で仕方がないけど、
楽器が得意な方もいらっしゃるということを前に聞いたことがあるのですが、
それにしても何という…。


実は今回の報道以前にも辻井さんのことを耳にしたことはあって、
その時は上記のようなことも含めて、ただただ凄いと感心した記憶が。
そのまま忘れていたわけですが…。(苦笑)
この度のご活躍で思い出させてもらって良かったです。(笑)

ニュースとかでは少ししか演奏が聴けなかったわけですが、
それでも圧倒的な演奏は衝撃的だったわけです。

まさに狂おしく襲い掛かってくる
リストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」や、
独特のタッチで速いテンポでリズミカルかつ躍動的な
「ラ・カンパネラ」など、
輪郭がハッキリとした粒の揃った音で
水玉のように弾ける独特の音が心に響きます。
独特のタッチで、しかも(やっぱり!?)かなり速いテンポで弾く
ショパンの「革命」はまさに革命的と感じたり…。
何と言ってもオーケストラとラフマニノフを演奏するレベルなわけですから
そりゃ凄い訳ですが…。

テクニックも凄いし、「盲目なのに…」といった
偏見や先入観が先行してしまいそうだけど、
何よりも素晴らしいと感じたのは、
受賞後のインタビューでも語っておられたように、
辻井さんが聴衆が感動するような演奏をする、ということで、
その言葉どおり、少しの映像からも感動させられました。


しかし同じように感じた方が多かったみたいで、
コンクール優勝後には問い合わせが殺到、
予定されているコンサートのチケットは一気に完売だという…。
なるほど…。


ということで辻井さんの今後の益々のご活躍に期待しつつ、
とりあえずはラフマニノフでも聴いてみましょうかね。

見てるはずはないけど辻井さん、
おめでとうございます!
ブラボーです!



 

6月9日。
「ロックの日」ですね。
まあよくも飽きずに毎年同じことばかり言ってるという…。


ツーバスドコドコ鳴ってる上に歪んだギターとベースの重低音、
そして耳をつんざくハイトーンシャウト。
これらが塊となってスピーカーから襲ってきた時。

背筋が伸びて、なんだかんだで無条件に血が騒いで
頭を振りたくなる衝動にかられる瞬間。


ヘヴィメタルに限らず幅広く聴いているつもり(自分では、ね…)だけど、
こういうのが未だにあるのは…喜ばしいことなのかも。

GRIM REAPER とか。(笑)

ふとした瞬間にそういうのがかかると、
無条件に反応してしまうのはもう…やっぱり悲しい性か…。(苦笑)
ふとした瞬間にGRIM REAPER とか、まずないけど。(笑)

GRIM REAPER で何か悪いかと。
まあいいでしょう…。


ということで引き続き
Keep on Rockin'!



 

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