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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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Youtube で久々に古いプロレスの試合を観た。



「長州力 VS 前田日明」


1983年の「維新軍 対 新日正規軍」の
軍団抗争での一戦。


長州は維新軍大将、前田は正規軍の若頭的存在。


長州の飛ぶ鳥落とす勢いもさることながら
前田の人気と株が急上昇していた時期。



小鉄さんが解説でも言っていた通り、
長州は立場上勝って当たり前なだけに辛い試合。


そして前田の善戦、勢いに熱狂するファン。



しかし最後は長州の非情なまでのフルコース。


バックドロップ→サソリ固め→リキラリアット→サソリ固め


全身から滝のような汗を流しながら
サソリでグイグイ締め上げる。



耐えに耐えた前田だったが、最後はレフェリーストップという結末。



これが長州力でしょう。


そしてこれがストロングスタイル

これが新日本プロレスでしょう。





ブックとかアングルとかそんなのは今では百も承知ですよ。

そういうことじゃないんだよね。



背中から鳥肌が湧き上がるようなゾクゾクする様は
DEEP PURPLE の『IN ROCK』を
たまに聴くと未だに感じるその感覚に非常によく似ている。

というか同じなんだよね。


理屈じゃないってこと。





別に昔はよかったなんて懐古主義を気取りたいわけではない。


今のプロレスは今のプロレスで楽しんで観てるよ。


新日本とそれこそちょこっとだけどWWEもね。

他はよくわからないけど。



それはそれでいいとは思うけど、やっぱりあの頃のは
今のそれとは明らかに異質だったと思う。


まあ社会におけるプロレスの位置づけも
何もかもが今とは違うんだから当然なんだけど。



もちろん自分がまだ子供だったからっていうのも
関係してなくはないかもしれない。


やっぱりそういう初期衝動っていうのは
常に人格形成の根底に流れているというか
時に忘れかけていた何かを
「はっ!」って思い出させてくれるような気がする。



いや、そんな難しい話じゃないんだよ。


「長州カッコいい!」
って直感的に思った30年前を思い出したというか、
一瞬30年前の少年に戻ったかのような錯覚。


久々に長州の昔の試合観て
背筋がゾクっとしたってだけの話。

しかも相手が前田だし。





「キレてないよ」
なんて自己パロディして
ラインダンス踊ってる長州なんて誰も見たくはなかった…。


というか、今の価値観ではそれはそれでアリなんだけど…!



ええ、アリなのかよ?って!?!?!?


だって、今はもうあれから30年も経っている
2012年の現実なわけですから…。


時代が変わればいろんなものの状況も変わるし
長州も年を取れば自分も年を取ります。

当然自分も変わっている。



時間ってのは残酷だね。
















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昨日プロレスの話を書いて
リック・フレアーが大好きだったことをチラっと触れたし、
そうじゃなくともプロレス好きでこのブログ見てくださってる方は
サブタイトルから私が(昭和の)リック・フレアーが好きだということが
瞬時にわかっていただけるとは思います。



なんと、そのフレアーが選手として来日するということで…!?


今回の来日は64回目で、
上がるリングは武藤全日本プロレス。


試合は本日、2013年1月26日(土)
大田区体育館大会





正直、
「はぁ?」
って感じでして…。


つか、まだやってんのか?

ていうかだね、やれんのかってねぇ…?

もういいだろって、ねぇ…!?



いやね、ほんと、フレアーとブロディは
ある意味人生に影響を与えるくらいの存在で、
そんくらい好きだったわけだけど、
それとこれとは別というか
そんな単純な話じゃないというかね。

だからこそ違うって思うっていうかね。


1990年代にWCWとかで新日で来日したときとかでもうすでに
「はぁ?」
って思ったもんだよ。



それがだねー、WWEでフロントとしてのギミックで
クソみたいなマイク合戦だけやってる分には
呆れたけど試合やらないならいいかって思ったりもしたけど、
もう60歳も過ぎて、見た目もどう見ても劇的に衰えて
まだ60そこそこにしてはあり得ないくらいヨボヨボ爺さんになってだねー、
やっぱりリングに上がるのはよしていただきたいなーと
個人的にはずーっと思ってもいたわけですが、
よりによってまたわざわざ日本に来てまで試合をやる、と…。


「なんか裏があるんじゃないの?」
なーんて思ってもみたけど、
本当に来日して、昨日、記者会見までやっちゃったってことで
「あーらら、本当にやるんだ…」
って、物凄い複雑な心境でもあったわけなんだけど…。





武藤&船木&曙&蝶野&フレアー会見
(全日本プロレスオフィシャル)






そうは言いつつも
何だかんだで気になってしまう悲しい性だったわけですが、
突如としてさらにあり得ないニュースが飛び込んできたわけで…。





リック・フレアーが“エコノミー症候群”で全日本プロレス欠場
(スポーツナビ)




お詫び
(全日本プロレスオフィシャル)






なーんかね、言いたくはないんだけど、
「やっぱりかー…」
ってなるよね…。


しかも欠場が発表されたのは
大会開始の5分くらい前だったとか。

ちょっと舐めてるよねー…。


怪我も含めて最初っからそういうアングルだったとか、
ブックどおりだとか、
ホント、言いたくないが、そう思われても仕方がないと思うし、
実際にそう思ってしまう…。



今回はフレアーの息子であるリード・フレアーも一緒に来日していて
当初より息子も他の試合でマッチメイクはされていたけど
急遽息子が父の代打となるマッチメイクがされて、
父がセコンドにつくという構図。


もうね、そんなしちめんどくさいことしなくても
「息子を日本でも売りたいんで
今回はセコンド、マネージャーとして来ました」
で最初からよかったんじゃないかってね。


あんまりプロレスの悪い部分や
いわゆるケッフェイといわれる部分について
積極的に書く気にはならないんだけど、
でも今回は試合結果も見て推測するに、
ブックどおりって思えてしまう。

つまり、これは最初からあったアングルじゃないかなってね。



ま、ある意味安心したじゃないけど、
今のフレアーに大真面目に試合してほしいとか微塵も思わないし、
これが一線を退いてからの今の姿勢としては
一貫してるかなーってね。





一応今回の大会結果のリンクを。



(スポーツナビ)



(全日本プロレスオフィシャル)





しかしこれを肯定するか否定するかで
その人の価値観も変わるだろうけど、
金払って会場行ってたと思うと
やっぱり嫌だよね。

ゾッとする。


まあそれも含め、今の武藤全日本のファンの人は
「アリ」って思ってるのかな!?


「サイン回でサインもらえたからよし」
とか
切り替え早そう。



かと言って、年末のIGFみたいなのがいいのかと言えば
それもまた嫌だしな…。


どうしてこう両極端なんだろう!?



そういう意味で今の新日本は時代にもあっているし
いいスタンスを保ててるんじゃないかって
私は一定の評価が出来ると思ってるんだけど。

否定する人も多いのはわかるけど…!?



あと、蝶野が武藤全日本に関わり始めたっていうのもちょっと複雑で…。


そういえばブシロードの新しい新日のカードゲーム(!?)みたいなの、
武藤と橋本は含まれてるのに蝶野のはないみたいだし、
露骨というか、新日本とは険悪な状態が続いてるんだろうな…。



なんか、プロレスは何処に向かっているのだろうか…!?


ホント、最近WWE観てた方がよっぽどいいって思えるくらいになってきてる…。


いや、ちょっと面白いよ、マジで。





最後に、もし今回のフレアーの怪我が本当だった場合、
邪推をしまくって本当にすみません。


レスラーの怪我はいつも本当に心配です。


ただ、「怪我が怪我じゃない場合もしばしばある」業界なので、
そういうことをいちいち考えて見なくちゃいけないなんて
なんだかなーなんだよね…。


















更新がまたちょっぴりのんびりになっちゃってましたな…。



最近「寒い」ってあんまり書いてないかもしれないけど
(更新頻度の問題は差し引いて…)、
書くの忘れるほど(!?)寒いっすねー…。


やれクリスマス寒波だ、
やれ初雪だ、
やれ大寒だ、
等々…。

何でもいいけどとにかく寒い。


この週末はまた寒波がやってくるとかで
これ以上どうなるのよってねぇ!?



毎年のように同じようなことを書いてるけど、
毎年どうやって冬を越してるのか疑問というか、
人間、何だかんだで越せてるんだよなーと。

不思議…。


いや、でもね、年々冬が越せないなと
マジで危機感が募るというかね、
しんどいなーってね。


単純に年なんですかね…。





まあこういうときによく出てくる言葉としては
「気合」ですな。


「気合」といって思いつくのは?

やっぱりアニマル浜口さんでしょうか!?



ということで(!?)

ちょこっと思い出話でも。










プロレス少年だった私。


好きだったプロレスラーはたくさんいますが、
中でも別格だったのが外人レスラーだと
ブルーザー・ブロディ、リック・フレアーの2人。

「日本人」では長州力が大好きだった。
(当時は在日云々ということは知らなかったので)





長州といえば、新日本プロレスで「維新軍」を結成し、
旧体制とぶつかりあう「革命戦士」の異名で頭角を現した。


浜口さんはその「維新軍」の参謀格的な存在だった。


長州軍の名参謀ということで
ハマさんも好きになり応援してました。



「維新軍」は「ジャパンプロレス」という会社組織、団体に発展し、
その戦場を全日本プロレスへと移した頃がピークだった。


その全日本プロレス参戦時の対ジャンボ鶴田戦は
ハマさんの試合では一番印象に残っているし、
未だ名勝負という方も多いと思う。



そして「ジャパンプロレス」はある日突然空中分解し、
所属レスラーの大半が新日本に再移籍。


そんな大人の事情満載な混沌とした状況の中、
筋を通して引退したのがキラー・カーンとハマさんだった。



そして浜口さんが引退後につくったのが今も浅草にある
『アニマル浜口トレーニングジム&浜口道場』
なのです。
















とある日たまたま通りかかって再発見!


懐かしさのあまり撮った写真。


(「再」の意味と「懐かしさ」の意味は後述。)
















「みなさまの温かいご声援 ありがとうございます」


娘さん、浜口京子選手のロンドンオリンピック応援への
感謝の垂れ幕ですね。
















和太鼓の会社までやっているとは知らなかった!










とまあ、ここからまた思い出話の続きで。



ハマさんが引退したってのは少なからずともショックだったけど、
ジムを開いたっていうのがなんか興味をそそったらしく。

少年の心に火を点けた。(笑)


経緯はまったく覚えてないけど、どういうわけだか
当時のプロレス観戦仲間だったクラスメートのS君と
無謀にもそのジムに行ってみようということになった!

まあまあ近かったからかな!?


当時はインターネットもなかったわけで、
プロレス雑誌に出ていた情報を元に
地図で場所を調べて行ったんだよなー。


でもどうやって行ったかは覚えてない。


当時の私のチャリ逃避行範囲は
せいぜい上野までだったので、
浅草はさらに先だから
多分銀座線乗って行ったんだろうけど、
電車で行った記憶はないんだよなー…。


そんな我々が浅草まで行くってだけでも遠足気分なのに、
色紙持ってプロレスラーに逢いに行こうっていうんだから
ワクワクなんてもんじゃありませんよ。

うん、色紙買いに行った記憶はあるね、うん。





とまあ、記憶は曖昧なんだけどね。

もう25年くらい前の話だからね…。
(もうそんななるか…年取るわけだな…)


でも上の写真のビルの階段を目にしたとき、
S君と怯えるようにその階段を上ったのを
ハッキリと思い出した。



「すみません~…!」


ドアを開けたら中では怖そうな大人たちが
大きな声を上げて一生懸命トレーニングしてる。


しばしフルシカトかと思われたそのとき、
どなたかが出てきてくれたが、
案の定
「ガキが何しに来た?」
的に出迎えてくださる…。


ただでさえ死ぬほど緊張してるのに
物凄く怖かったのを覚えてるなー。(笑)


すぐにハマさんも出てきてくれたけど、
普通に素であのテンションなんで、
これ以上なくガチガチに緊張しまくっていた我々には
これ以上ないほど恐ろしかったです、ハイ。(笑)


恐らくだけど、ジムもオープンしたばっかりだったし
子供だけで訪ねてくるなんてこともなかったんでしょうね。

だからハマさんもビックリされたでしょうね。


サインがほしいとお願いすると
快く応じてくれたんだけど、
何せ終始あのテンションなんんで
ずっと怒られているような気分で
とにかく怖かったことだけはよく覚えています、ハイ。(笑)



しかし今から思えば物凄い行動力だし、
こういう無鉄砲なことやっても許されるのは
子供の特権だよね。(笑)





そしてこの話には続きというかオマケがあって…。



その日、私とS君は、目の前でアニマル浜口さんに
サインを書いていただいた。


そしてその色紙を覗き込んだ私は目が点になった。



「あれれれ??? これ、、、 持ってる…。 うちにある…!!!」



それより何年か前に、どこかの誰かから長州のサインをもらうことができて。


そのときに長州以外のジャパンプロレスのレスラーのサインも一緒にいただいて。


だけれども読めなくて誰のかわからなかった。


何とかその文字をいろいろと解釈して、
勝手に寺西勇さんのサインだと思い込んでいた。



が・・・・・


まさか…


まさかの…


なんと、そのサインが、アニマル浜口さんのだったのです!!!


しかも、上下逆に解釈していたのです!


「ア」をひっくり返したのを「寺」っぽく見えたんですな…。(苦笑)


だって、サインって普通に読めないのが多いじゃないですか…。(泣)



ちなみに、だからというわけなのか
最近の浜口さんのサインは
普通に読めるものになっているようです。


つまり、現役時代、引退直後の物とは別の物のようです。



いやー、しかし、いろんな意味でビックリしたよね。(笑)


今となってはいい思い出の一日です。





ちなみに、今日では浜口ジムはプロレスラー養成所としても有名で、
出身レスラーも数多く、有名どころでは
小島聡選手(新日本プロレス)、
大谷晋二郎選手(ZERO1)、
FUNAKI選手(元WWE)、TAJIRI選手(元WWE)
女子では高橋奈苗選手(スターダム)、等々。



現在は息子さんが道場長をやられているということで
浜口さんは現場には常駐されていないものと思われます。


くれぐれもノーアポで訪ねるなどしないでください。(笑)
(いや、マジで…。)

昔の子供のしたことということで、ご理解ご了承ください。(願)





最後に。


絶対にこれ読んでるわけないけど
この場を借りてそのときのお礼を。


アニマル浜口さん、本当にありがとうございました!



そして絶対にこれ読んでるわけないけど、
Sちゃん、楽しい思い出をありがとう!
















新日本プロレス
2011年6月4日の試合中に頚椎を負傷した中西学。


中心性脊髄損傷と診断され闘病生活を余儀なくされていたが、
治療とリハビリに専念していた甲斐あって、遂に復帰戦が決定!





以下、新日本プロレスオフィシャル発表順



2011/06/04(土) 京都 KBSホール
第9試合 試合結果








2011/06/05
中西学選手は順調に回復中!
三澤威メディカルトレーナーが現在の状況を発表








2011/06/06
中西学選手、欠場のお知らせ








2011/12/24(土) 後楽園ホール
中西学が登場!復帰に向けてファンに挨拶!








2012/01/17
「必ずこのリングへ帰ってくる!!」
復活へ向け、中西学の動画をアップ!! 








2012/09/23(日) 兵庫・神戸ワールド記念ホール
中西学が待望の復活!10月8日両国で復帰戦!








2012/09/24
中西学の復帰戦が正式決定!
永田&ストロングマンと組み、矢野&飯塚&石井と対決!
「興奮しています!」(中西)【※コメント追記】











いや、正直もう無理だと思っていた。



昨年12月の段階で、中西自身、
ランニングすら厳しい状態だと報告しているが、
この頃の症状としては、
一般人なら平衡感覚が狂ってまともに歩くこともままならない状態だと
何かのテレビで医師がコメントしていた。


当初の寝たきりの状態からここまで回復できたことだけでも脅威的であり、
それだけでも凄いのに、
日常生活が困難なく送れるレベルには回復可能とはしつつも、
リング復帰は非現実的とのニュアンスは容易に感じ取れた。



手術をしたのが昨年10月で、12月の時点でそういう状況だったからして、
少なくともこの時点では復帰なんて全然見えなかったし、
本人の努力でどうなるものでもないってことは嫌でも伝わった。


それがよくここまでこぎつけたなーと、
まさに感動、感心、感激なのである。



よくレスラーの強靭な肉体は、医師をも驚愕させる
驚異的な回復力を持っているといったことが言われるが、
それにしても今回の中西にしろ昨年の天山にしろ、
本当にあり得ないレベルでの、まさに奇跡の回復だと認識している。


しかも2人とも正直もう若いとは言えないわけで…。


復帰できるまでの回復は、リハビリなどの尋常じゃない努力だけではなく、
それを可能にするメンタルの強さがあっての賜物なんだなと
改めて感心してしまうのでした。



いやいやまったく、
主治医の復帰は不可能という言葉、現実をあえて受け入れないで、
現実をあえて見ないで無視することで、
何の根拠もない己の信念にのみ忠実にリハビリ、トレーニングに専念して
復帰までこぎつけたというのもなんともまた、中西らしい話だね。





ということで中西、本当におめでとう!


待ってたぜ!


いや、マジでとにかく嬉しいよ!


いやいや、でも無理はしないでね。



ホーーーー!!!















日本を代表するトップヒールレスラー、上田馬之助氏が
2011年12月21日、急死した。

上田さんは自宅で果物を喉に詰まらせ病院に搬送されたが、
病院到着時にはすでに呼吸はなく、窒息死だったとのこと。

71歳だった。





新日本プロレスオフィシャル


Sponichi Annex





上田さんは1996年に高速道路でワゴン車に同乗中
トラックに追突される交通事故に遭い、
脊椎損傷の大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされていた。

一般人だったら即死だったと思われるほどの大事故だったが、
レスラーの強い生命力でなんとか一命を取り留め、
以降懸命にリハビリ生活を行っていたが、
そんな中での突然の死となってしまった。





参考
「ふたりでひとり」
(夫人著書籍)





+++++++++++++++++++++++++++++++





上田さんは大相撲を廃業後、1961年に日本プロレスへ入門。

日本プロレス崩壊後はフリーとして
新日本、全日本、国際の各団体や、アメリカでも活躍。

プロレス黄金期には元祖日本人ヒールとして
「まだら狼」「金狼」のニックネームで暴れまわった。





そんな上田さんへの印象として一番強く残っているのは、
世間でよく言われるタイガー・ジェット・シンとの狂乱のタッグや
前田日明の蹴りを受けきったシュートの強さ
ではなく(もちろんそれもなくはないのだが)、
日本プロレスのクーデター、「猪木、会社乗っ取り」事件。



力道山亡き後の当時の日本プロレスは腐敗しきっており、
豪遊し散財する幹部の不透明な経理、経営に
異を唱えたアントニオ猪木を中心とした一部レスラーたちが
自らの退団と引き換えにそんな経営陣の退陣を要求する計画が
秘密裏に進行していた。

その計画は何者かによって会社に密告され
未遂に終わってしまったという大事件だったのだが、
その密告者こそが上田馬之助だという説があった。


猪木さんはその事件をきっかけに日本プロレスを除名、追放処分となり、
新日本プロレスを設立、旗揚げ。

馬場さんも日本プロレスを退団し
全日本プロレスを設立、旗揚げ。

そして日本プロレスはそのまま崩壊した…。



子供の頃、
「プロレススーパースター列伝」
というドキュメンタリータッチのプロレス漫画が大好きで、
その「馬場・猪木編」でもこの事件が大きく取り上げられていたし、
他資料等にも大方「犯人は上田」とほぼ断定されていたこともあり、
上田馬之助に対するイメージはそんな裏切り者としての印象が強く、
裏も表も悪役そのものじゃないかということで、
存在自体のインパクトが非常に大きかった。


プロレスだからどうだ、とかそういう問題ではない。

何よりもその当時猪木さんがクーデター(と呼ぶかどうかは別として)
を起こそうとしたことは事実であり、
誰かが裏切ったこともまた事実なのである。



もはや今となってはその「密告者」が誰だったのかを
完全に証明することは無理だが、
わかっているだけの後の各証言や状況からして
「犯人」は上田ではなく馬場だったとするのが正解だろう。

もちろん上田がこの件に何も関係していなかったわけではないとは思うが、
馬場が犯人であったことに間違いはないだろうし、
上田は内外に向けてまさに「悪役」を見事に演じきったことになる。


とにもかくにも子供だった私の上田馬之助に対するイメージは
この件で強烈に決定づけられたのだ…。





ね、プロレスっておもしろいでしょ?


ということはまたの機会に置いといて…。





+++++++++++++++++++++++++++++++





気がついたらいわゆるメジャー団体に出なくなり、
IWAなどインディ団体を転戦するようになり、
そうした中に事故に遭い、
自ら意図することなく引退を余儀なくされてしまった上田さん…。


ヒールとしてのイメージを大切にし、
歴史に残る大事件にも関わった影を落とすなど
ひときわ異彩を放ったが、
そのプロレス観も独自のものを持っており、
それはプロレスラーであることの誇りと
強いプロ意識からくるものもあったのだろう。


そういったミステリアスな要素とは裏腹に、
実は真面目で人思いの優しい人だったというエピソードも多数ある。


そしてその存在の大きさを語っているのが
大分にあるプロレス団体 「プロレスリングFTO」 には
本人公認の後任(!?)「二代目上田馬之助」が存在し、
また新日本プロレスで活躍する 矢野通 のキャラクターの一部は
上田さんに対するオマージュと容易に推測できるという事実。


「事故に遭わなければ…」と
たらればを言っても始まらないが、
表舞台に出る機会もまだあったとは思うし、
語るべきことももったあったはずだ。


事故の報を聞いたときも驚いたが、今回もまた然りで
なんともはや、やるせないものである…。





今頃は力道山に挨拶にでも行っているんだろうか!?


古きよき昭和の時代の生き字引がまた一人いなくなってしまったことは
本当に悲しい。





上田馬之助
(本名:上田裕司)

1940/6/20 - 2011/12/21
享年71歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...
















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