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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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なんと、プロレス専門チャンネルのサムライTVが
無料で視聴できるようになっていた!

今月いっぱいなのかな!?


知ったのが遅かったのでちょい悔しい気がしたけど、
つけてみるとこれはアカンなと…。

だって、消せないんだもん…。


いやね、実際24時間見たいのがやってるわけじゃないんだけどね。

感覚としては、iTunes のRock/Metal station をつけたら
なかなか切れないのと似てる。

特にラジオって、たとえ聴いてなくても
聞こえてるだけでもよかったりすることもあるしね。

まさにそんな感覚で、見てなくても
たまに音とかで「ハッ!」っとして画面見入る、みたいなね。


まあ、サムライは情報を毎日更新するし、
物珍しさもあるんだろうけどね。





そんな中で見れてラッキーだったのは蝶野と藤波の対談。

これが両者共に物凄く自然体で、
普通に先輩後輩が世間話をしている感じで
見入ってしまった。


小川のこととか、貴重なことがいろいろと聞けてよかったけど、
さらにもう一歩踏み込んでくれればなーと…。



蝶野といえば、現在はIGFでエグゼクティブ・プロデューサーに就いている。

そのことに関しては最初は若干の疑問は否めなかったわけだけど、
話を聞いているうちに、何となくその疑問が解けてきた気もした。





そして明日に迫ったチャリティ興業のこととかも。


この週末、2011年8月27日には、東京スポーツ主催で
新日本、全日本、ノアのメジャー3団体が協力して
「東日本大震災復興支援チャリティープロレス『ALL TOGETHER』」
が日本武道館で開催される。


そしてその興業にぶつけるかのように
アントニオ猪木主催のIGFも
「東日本大震災復興イベント『INOKI GENOME ~Super Stars Festival 2011~』」
の両国国技館での開催を決定。


「平成の隅田川決戦」と後出し的に煽るのもまた
いかにも猪木さんらしいなという見方もあったが、
実はそんな簡単な話ではなかったようで…。


IGF側の意見になってしまうが
両方の事情をよく知る蝶野の口からそういうことを聞くと
納得させられるというかね。

そもそも間違ってるのは誰なんだ!?
ってね。

東スポとの確執や利権とか、とか…!?



IGFの場合は震災後に行われた大会、
「GENOME15」
「東北地方太平洋沖地震復興イベント
苦しみの中から立ち上がれ!」
と銘打ったチャリティ要素も含んだ興行として開催されているし。


猪木さんの言い分 もまた、客観的に見て、意外に常識的だなーと。





まあ、興業戦争だの客の取り合いだの、そういうことは置いといて、
両方とも単純にお祭でいいんじゃないのかね!?


両興業の収益がどう被災地のために動くのかはよくわかってないけど、
日程がぶつかったことでさらに話題に上がって活性化するわけで、
「明るく元気にします。」
「活気をつけます。」
でいいんじゃないかなってね。

いい意味で気軽に、単なるイベント参加だって、ね。

そしてチャリティなりも後からついてくる、と。


前にちょっと チャリティの在り方や内容の是非みたいなことを書いた けど、
書いたとおり、意義を持つだけでも全然アリだと思うし、
何でもかんでも100%ボランティアじゃないといけないなんて
思ってるわけじゃ全然ないしね。





ということで、両興業ともに興味はあるし、
特にIGFの方は蝶野が選手としても出場するしね。

何故か対コスプレファイタイー長島☆自演乙☆雄一郎戦だとか…。


なわけだけど、IGFの方のサムライ放送予定は9月に入ってからみたい…。


「ALL TOGETHER」はPPVだそうで…。



ということで、そうこうしているうちに
サムライともアッという間にバイバイだな…。










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なんだかんだで新日本の主要の大会だけは
流れを追ってしまっているのが悲しい性なわけですが…。


というわけで気がつけばもうG1決勝だったようで。



新日本オフィシャルにアクセスしてみると
鯖落ち寸前、かなり重い。

アクセスが集中してるってことなんだろうけど。

やっぱG1人気は健在ってことなんかね!?





今年の決勝はA・B各ブロックのトップ同士による優勝決定戦で、
去年もそうだったかな。


例年は各ブロックのトップ2で決勝トーナメント
ってパターンが多かったはずだし、
その方が面白かったというか、
馴染みあるんでシックリくる感じなんだけどね。

まあ流石に体がキツイってことなんかな。

多い人は場合によっては3試合やんなきゃいけないからね。





で、優勝したのは中邑真輔だったかー!

うーん、これは正直意外だった。


真輔にはG1勝てないジンクスをもうちょっと続けさせてほしかったというか、
勝たせるなら満を持してのタイミングにしてほしかったんだけどな…。

少なくとも、新しい変な髪形、パイナップルみたいなモヒカンと、
中途半端なラインが入った新タイツもそうだけど、
そういうのがそのタイミングにはまるで適してないよなーと…。



この後の三団体共同の震災復興興業もあるんで
棚橋にG1も取らせてIWGPとの二冠にして
わかりやすい構図で行くのかと思ったんだけどね…。



というわけでとりあえずは真輔、おめでとう。





それもそうだがYoutubeで公開されているダイジェストを見る限り、
天山、かなり本調子に戻ってるんじゃないかな!?


怪我からようやく現場復帰して一安心だったわけだけど、
もう感覚も完全に戻ってるし、動きもいいし、
更に上の段階に戻ってきたというか、
会場をかなり沸かせていたようだし、
好調もいいところでしょう。


今日の最終戦、両国でのテンコジ直接対決は
まさかの天山勝利で幕が降りたようだし。


天山はいい人がバレバレになってしまって
浪花節が似合うようになってしまっただけに、
変なところにこじんまりと収まりつつあったのが
なんだかなーだっただけに、
この勢いでいいかたちでまた前線で活躍してほしいです。

デビュー20周年興業も決定したしね!


まあ実際に痛いとか辛いとかは本人じゃないとわからないわけだし、
無理はしないでほしいけどね…。





っつーことで決勝もそうだけど、まだ試合見れてないからなー…。


地上波待ちよりもYoutube期待待ちだな…。










黎明期の新日本プロレスを支えた「突貫小僧」こと星野勘太郎氏が
2010年11月25日、入院先の病院で肺炎のため死去された。

67歳だった。





新日本プロレスオフィシャル


SANSPO.COM





星野さんは1961年に日本プロレスへ入門。

日本プロレス崩壊後は、アントニオ猪木の新日本プロレスへ移籍。

1995年に引退後は、地元神戸でプロモーターとして活躍された。





星野さんといえばやはり山本小鉄さんとのタッグチーム、
「ヤマハブラザーズ」が有名。


「ヤマハブラザーズ」は1967年にアメリカ遠征で結成されたため、
「小さくても力がある」というヤマハのオートバイから命名されたが、
2人にはこれ以上ないピッタリな名前だった。



星野さんの場合は小鉄さん引退後も現役を続行していたため、
子供の頃からよく観ていた。

小さい体でのコミカルな動き、水色のショートタイツは
なかなか強烈な印象を放っていた。

そして体格を補うかのような喧嘩屋的な気持ちの強さは
まさに「突貫小僧」であった。



最近では「魔界倶楽部総裁」として表舞台にも復帰、
「ビッシビシいくからな!」のキメ台詞で
現役時代を知らないファンにも注目を集めたことは記憶に新しい。





そんな元気な姿を見せてくれていた星野さんだったが、
2009年2月に脳梗塞で倒れ救急車で病院に搬送。

専門の病院でリハビリを続けていたが
復帰を応援するTシャツも作成されていた)
今年8月には盟友、山本小鉄さんのまさかの訃報に
大変なショックを隠し切れなかったとのこと。


そしてまだ3ヶ月しか経っていないというのに
自身もこんなに早くその後を追うようなことになってしまうだなんて
本当に言葉が出ない。





今猪木さんとの関係がどうなっているのかはわからないが、
小鉄さん同様、心身共に猪木さんを支え、
古き良き新日本の伝統、ストロングスタイルを作り上げ
伝えてきた存在が、また一人逝ってしまっただなんて本当に寂しい。



天国の小鉄さんと昔話に花を咲かせてください・・・。





星野勘太郎
(本名:星野建夫=日本通名=在日コリアン)

1943/10/9 - 2010/11/25
享年67歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...















かつての「ジャイアント馬場 全日本プロレス」
で名レフェリーとして活躍したジョー樋口氏が
8日午前5時38分、肺腺がんのため死去された。

81歳だった。





プロレスリング・ノア オフィシャル


スポーツ報知





ジョー樋口氏は1954年に山口利夫の全日本プロレス協会
にレスラーとして入門。

全日本プロレス協会崩壊後、力道山の日本プロレスに移籍。

1960年に引退するも、1963年から通訳など世話役として日本プロレスに復帰。

1972年、日本プロレスを離脱したジャイアント馬場の全日本プロレスに
旗揚げから参加。

以降、名レフェリーとして活躍することに。

1999年、ジャイアント馬場の死を機に全日本プロレスを退社。

2000年、全日本プロレスからほとんどの選手が離脱し旗揚げした
三沢光晴のプロレスリング・ノアに監査役として参加。

ノアのタイトルであるGHCのタイトル管理委員長を務めた。





+++++++++++++++++++++++++++++++





また一人、昭和の伝説が逝ってしまった…。


プロレスゴールデンタイム世代にとっては
「レフェリーといえばジョー樋口」
という人は多かったと思う。


NWA全盛の当時として、日本人でNWA公認レフェリーだったのは
当初ジョー樋口だけではなかったか。

子供心にその肩書きには説得力があったし、
目を引くスキンヘッドとしばしば乱闘に巻き込まれたりと、
インパクトも強かった。

そしてその絶妙なレフェリングで数々のドラマもつくり上げたりと
まだプロレスが熱かった時代において
ジョー樋口の存在は欠かせないものであった。


その存在感の大きさ、人気はレスラー並みで、
全日本プロレスでの後年は、選手コール後、リングアナの
「レフェリージョー樋口~」
の紹介で、会場に
「ジョー!」コールが巻き起こるのが当たり前にもなった。


近年はノアのタイトルマッチの際に
タイトル管理委員長としてリング上に姿を見せ、
認定証を読み上げた後に
「ジョー!」コールが起こるのも定番になっていた。





そんな未だに愛されているレジェンドが逝ってしまっただなんて、
本当に寂しい…。





ジョー樋口
(本名:樋口寛治)

1929/1/18 - 2010/11/8
享年81歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...










「鬼軍曹」小鉄さんといえばやっぱり道場なので。



新日本プロレスはシリーズ中で本日も愛知で試合ということで
あえてひっそりとしているであろう都内某所の道場をひっそりと「参拝」。











元々は猪木さんの自宅だったということで、
新日本旗揚げ時に猪木さんが自宅を道場と合宿場に改装。

そのため閑静な住宅街の路地に道場が。

以来、現在に至る。





プレハブ内にはリングが。









新日本といえばライオンマーク。
そのライオンマークを考案、デザインしたのも
小鉄さんだったらしい。









道場の扉に描かれたライオンマークは
誰の手によって描かれたものだろうか?





「プロレスラーは舐められたら終り」



それが小鉄さんの口癖であり、信条だった。


その原点はまさにこの道場にある。



今のユークス新日本にもどうかそれを忘れないでいただきたい。






















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