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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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新日本プロレスの鬼軍曹として知られる山本小鉄さんが、
2010年8月28日 午前6時42分
旅行先の軽井沢で死去された。

死因は喉の不調からの窒息による
低酸素脳症とのこと。

68歳だった。





新日本プロレスオフィシャル


SANSPO.COM


sportsnavi





小鉄さんは力道山最後の弟子として1963年に日本プロレスに入門。

1972年にはアントニオ猪木の新日本プロレス設立に参加。



選手としては星野勘太郎とのタッグチーム
「ヤマハブラザーズ」としての活躍が有名だが、
小鉄さんの場合は、指導者としての印象が非常に強く、
引退後も厳しい練習で数多くの選手を育て上げてきた。


以来、新日本の道場を守ってきた「鬼軍曹」として現在まで知られることに。





小鉄さんは団体創設時から
猪木さん、新日本を支えた陰の立役者、屋台骨として、
現在まで新日本プロレスにはなくてはならない存在だった。



昨今いろいろな激震が走り変貌を余儀なくされてきた
新日本プロレスにおいて、
小鉄さんがいたからこそ、
ストロングスタイルの核、プライドが保てていたんだと思う。



良くも悪くも猪木さんが去り、ユークス体制となってからも
創設メンバーであり伝統を伝える鬼軍曹小鉄さんは
新日本プロレスファンにとっては
その存在自体が最後の良心であり、砦だったのだ。


その存在がいなくなってしまったこと、
その死の意味はあまりにも大きすぎて計り知れない。





新日本プロレスには
猪木イズム、ゴッチイズムと同じくらい意味のある
小鉄イズムをこれからもしっかりと継承させてほしい。



小鉄さん、どうもありがとう・・・。





+++++++++++++++++++++++++++++++





新日本プロレスオフィシャルサイトには
多くの関係者のコメントや情報などが
多数掲載されています。



2010年8月

2010年9月(恐らくこれから何かしら掲載されるはずです)



また、9/3後楽園大会は小鉄さん追悼大会となるようです。





+++++++++++++++++++++++++++++++





新日本プロレスとコラボしているアメーバピグでは
登場していた小鉄さんキャラを
これからも登場させるとのこと。

















ありがとう小鉄さん・・・。

安らかにお眠りください…。





+++++++++++++++++++++++++++++++





山本小鉄
(山本勝)

1941/10/30 - 2010/8/28
享年68歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...










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プロレスラー、ラッシャー木村氏が
24日午前5時30分
腎不全による誤嚥性肺炎のため亡くなった。


sportsnavi


SANSPO.COM


プロレスリングノア





大相撲を廃業して日本プロレス入りした
ラッシャー木村の最初のハイライトは
国際プロレス時代だろう。


ラッシャー木村といえば、近年(といってもここ20)年ほど)は
マイク・パフォーマンスで有名だったが、
現役全盛期の国際プロレス時代は
流血、デスマッチを得意とする
「金網の鬼」として知られた。

実はラッシャー木村こそが
「元祖流血王」
「元祖デスマッチ王」
だったのだ。





国際プロレス崩壊後は
新日本プロレスなどで不遇の時代を過ごすも
全日本プロレスに参戦後は
国際血盟軍として鶴見五郎とのタッグなどで地味に活躍。

個人的に印象に残っているのはこの時代で、
そしてその後に2度目のハイライトが訪れることとなる。


国際血盟軍消滅後も
すでに一線を退き前座で客を沸かせていたジャイアント馬場に
敵対するポジションで定着。

この頃からコミカルなマイクパフォーマンスが話題となり始める。


そして国際血盟軍消滅後は、敵対する馬場とマイクで連日共闘をアピール。

馬場を一方的に兄貴と宣言し、ついに兄弟タッグまでもが実現した。



こうしてラッシャー木村のマイクパフォーマンスは
全日本プロレス前座の名物にまでなり、
ラッシャー木村といえばマイクパフォーマンス、
マイクパフォーマンスといえばラッシャー木村
という図式が完成した。





馬場の死後は2000年に三沢光晴らとノア旗揚げに参加も、
2003年に体調不良を理由に戦線を離脱。

2004年にビデオレターで引退を表明した後、
表舞台から姿を消していたが、
人知れず闘病生活を送っておられたのだろうか…。





いわゆる華やかなスター選手ではなく、
ともすれば不器用で暗い印象もあるラッシャー木村だったが、
ジャイアント馬場さんが掲げていた
「明るく激しく楽しいプロレス」のキャッチフレーズの
「激しい」プロレス人生を歩み
「明るく」「楽しい」の部分を担っていたことは間違いない。


天国で馬場さんとゆっくり語り合ってください。





ラッシャー木村
(木村政雄)

1941/6/30 - 2010/5/24
享年68歳

ご冥福をお祈り致します。










サントリーの蝶野の腰振りCM(!?)、
『ジョッキ生 8 CLEAR STRONG』
のCM をやらなくなったなーと思っていたら、
缶チューハイ、『STRONG ZERO -196℃』
新しいヴァージョンが放送されていた!


しかも今回は蝶野正洋、石原さとみ組に加え、
武藤敬司が参戦!

最後に3人で『プロレス Love』ポーズ!

すげー…!


てか、プロレスファンにとっては、
単純に嬉しいことなのです。


ちなみに
ジョッキプレゼントキャンペーンヴァージョン(!?)
は、最後がちょっとだけ違うみたいです。



いやーしかし、プロレス人気が落ちに落ちて
落ち着いちゃった感も否めないけど、
闘魂三銃士のステータスは健在というか、
全盛期以上に抜群のようで、
いやいや、今なお全盛期なんだろうなーと。

橋本真也がもういないのが残念。



そういえば闘魂といえば、
猪木さんが日本人として初の
WWE の殿堂入り
を果たしたそうで。

デビュー50周年記念なのかな(!?)


50周年て…。

50年すら生きてないからな…。



で、25周年の人、
まあ三銃士の全員だけど、
蝶野のこと。


デビュー25周年記念の挨拶回りの一環として(!?)
蝶野が猪木さんを訪問したらしい。


結局蝶野の25周年記念、退団は、
猪木さんの50周年とも絡んでいるというか、
そこにも原因となった何かがあったのは事実のよう。

こちらのサイトに掲載されている
退団についてのコメント、解説が
なかなか興味深いです。


今の新日本では「猪木」という単語自体がタブーなんだろうし、
ユークス体制下でのフロントや選手のその気持ちは
客観的にみて当然理解できるけど、
それと過去の功績や歴史的事実はまた別だってことも
ちゃんと理解して、上手く取りまとめる必要もあるのかと。

まあ難しいだろうし、下手に手出すよりは、
触らぬ神に祟りなしってことなんでしょう。


ちなみに少し前の中邑の猪木挑戦発言は、
やっぱりスマートじゃないというか、
真相は未だ不明だけど、
もしかして蝶野の考えに賛同してフライングしちゃったとかなのか!?

いずれにしても、中邑は現IWGP チャンピオンであって、
新日本との契約も更改しているようなので、
無関係でしょう、きっと…。



蝶野さんには、せっかく新日本を辞めたんだから、
所属じゃないフリーの立場のメリットを生かして
チョーノー力を発揮してもらいたいです。



最後に余談ですが、
先日書いたアメーバピグの件。

あれ、登場するレスラーは蝶野だけで、
条件さえそろえば
(10人が椅子に座って同時に拍手)
いつでも出てくるようです。

そして蝶野と新日本の契約が切れた2月になっても
まだ出てきてくれているようです。




ブログで有名なアメーバのサービス、
『アメーバピグ』が人気らしい。


どうやらテレビ朝日とコラボしているようで、
新日本プロレスの会場も用意されているということで、
試しにテスト用にアカウントを作ってやってみました。



『六本木 テレビ朝日ランド プロレス広場』
なる場所がいくつか用意されているようで
(同じものが複数あるよう)、
入ると後楽園ホールみたいな会場になっていて、
ちょっと感動。

新日本にとってはかなりいいプロモーションだと思うけど、
効果は出てるんだろうか…!?

最近流行の(!?)プロレス芸人も
いい流れなんだとは思うけど、
あれはギリギリ一世代前までが話題の中心だからして、
今のリング上とは全然リンクしてないからな…。



それはさて置き、『アメーバピグ』。

で、選手登場することもあるようで、
退団の件もあるので、記念というわけではないのかもしれないけど、
なんだか今日は蝶野正洋が出てくるんじゃないかと噂になっている!

確かに1月末日までの契約が切れると
新日本もテレ朝も自由には使えないだろうしな。

なるほど、今のうちってわけか…。


で、10人が同時に「拍手」をし続ければ、
選手が登場する仕掛けになっているらしいと。

「拍手」はデフォルトではない機能なので、
別途購入が必要とのことで、探すと
スーパーストロングマシンが売ってました。

これは初期設定のポイント(?)で買える範囲みたい。



誰かが拍手しろって煽っていたせいか、
会場内もそんな空気になっていたようで、
購入後、拍手してると運よくすぐに出てきました!

しかも本当に蝶野選手が登場!

しかも何回か出現してくれたので
お陰で複数ショットをキャプチャーすることがきました!






「ガッチャメラエー!」

相変わらずの擬音を再現したアピール。


画面表示の位置関係で、入場時の確認ができたのはこの時だけ。






「One Love! 神に感謝!」

25周年記念テーマ曲から最近のお決まりの締めフレーズ。



他にもパターンはあるようで↓





「俺がG1男の蝶野だ! 覚えておけオラッ!」

とか





「アイムナンバーワン! テンザンナンバートゥー!」

とか。


まさに
「アイアムチョーノ!」
と締めていたときもあり。



『アイアムチョーノ』ポーズでアピール後は↓





自らリング下に降りて一路出口へ。






普通に客席、というか、単なる人ごみの中を歩いて
出口前で一時停止後、そのまま消えていきました…。



やっぱり他にもパターンはあるようで↓





「俺だけ見てりゃいいんだオラエー!」

と出口で『アイアムチョーノ』ポーズで締めていたときもあれば、
サントリーのCM意識してなのか、
腰振ってたように見えたのもあったような気も。


一体何パターン用意されているのか!?



ちなみにリング上の蝶野の『shop』マークをクリックすると、
蝶野特設ショップ(!?)に行くことができるみたいです。





なんか買えるみたいだけど、デフォルトの状態では高くて買えない。



実は蝶野ヴァージョンの黒いリングもあるらしく、
多分それは決められたときに行かないと
お目にかかれないんじゃないかなと思う。

少なくとも今日はなかった。

まあしかし2月以降は蝶野自体見れなくなることを考えると、
今日見れたのはラッキーだったでしょう!

いや、マジ感激した。(笑)




 

闘魂三銃士の一人でもあり、
日本プロレス界最大のビッグネームの一人、
蝶野正洋がデビュー以来一貫して所属した新日プロレスを遂に退団。

なんだかんだ言ってもこれだけはないだろうと思っていただけに、
ショックは大きい。



新日本プロレスでは毎年この時期は契約更改の時期。

かつて選手の大量離脱が続いたこともあり、
更改状況を公表していたこともあったが、
落ち着いてきた部分もあり、
昨年あたりから発表されなくなっていた。

しかしそれだけに緊張が走る時期でもある。


契約云々ではなく、目の怪我が原因だが、
今年はミラノコレクションAT が引退を発表

ショックが小さくなかったところに
それすら掻き消されてしまうほどの大ニュースが報道された。



1/19付 新日本オフィシャルには、

「『身体作り』、『メンテナンス』を理由に
蝶野が約半年休業(契約は保留?)、
話し合い後、夏以降から復帰」

との長期欠場の発表があった。


本人も昨年中からメンテナンスに関しては発言していたこともあるので、
この発表を鵜呑みにしていたところに
今度はまさかまさかの退団のニュースが。

これに関して情報が錯乱しているということから、
1/21、都内で催されたデビュー25周年記念パーティの前に
蝶野自身が会見を開き、改めて退団を表明。


新日本オフィシャルには改めて1/21付で
「今後の活動について会見」が発表されたが、
その内容には他報道内容とのズレもある。

それは菅林社長と蝶野本人の意見のズレに起因しているようで、
「メンテナンス期間に入る」ということは一致しているものの、
菅林社長は
「新日本への復帰を前提、もしくはそれを希望」
蝶野本人は
「新日本へは参戦予定はないが、
半年なり前にオファーがあれば考えなくもない」
と、真逆とも言える。

『退団』という言葉を使わずに、新日本を『卒業』とし、
喧嘩別れではないとはしているが、
いずれにしても、そこには契約関係はなく、
退団の事実が変わるわけではない。


ここ数年は会社からの要望は「何もない」
という状態が続いていたということで、
飼い殺し敵な状態だったのではないだろうか。

オーディエンス目線からは、
蝶野自身が自らの意思で一線を退いていたのかとも思っていたけど、
そうとも言い切れなかったようだ。


橋本、武藤退団後も、闘魂三銃士の最後の砦として、
新日イズムを守るかのように新日本一筋25年、
今後も守るべきところを守るために君臨し続けてくれると思っていたが、
まさかまさかの退団という結論となってしまった。



今後はフリーとして選手、プロデュース業なども含めたプロレス業、
タレント業、そしてAristrist の経営と、3本柱でやっていくこととなり、
選手としてはしばらくはリビルドの期間に入るとのことで、
これはもちろん肉体的なメンテナンスのことも指してはいるが、
それだけではなく、全体的な状況を立て直すことを意味している。


しかしデビュー25周年記念大会を10月に行ったのに、
同じくデビュー25周年記念パーティーをこの時期に行ったというのは、
やっぱり退団というのが昨年中からすでに視野に入っていたからだろう。

もしかしたらもっと前からこの25周年というのを節目にと
考えていたのかもしれない。


ファンとしては少し寂しいが、それは蝶野本人が一番感じていることだと思う。
改めて今後の活躍に期待したい。




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