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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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プロレスラー、ラッシャー木村氏が
24日午前5時30分
腎不全による誤嚥性肺炎のため亡くなった。


sportsnavi


SANSPO.COM


プロレスリングノア





大相撲を廃業して日本プロレス入りした
ラッシャー木村の最初のハイライトは
国際プロレス時代だろう。


ラッシャー木村といえば、近年(といってもここ20)年ほど)は
マイク・パフォーマンスで有名だったが、
現役全盛期の国際プロレス時代は
流血、デスマッチを得意とする
「金網の鬼」として知られた。

実はラッシャー木村こそが
「元祖流血王」
「元祖デスマッチ王」
だったのだ。





国際プロレス崩壊後は
新日本プロレスなどで不遇の時代を過ごすも
全日本プロレスに参戦後は
国際血盟軍として鶴見五郎とのタッグなどで地味に活躍。

個人的に印象に残っているのはこの時代で、
そしてその後に2度目のハイライトが訪れることとなる。


国際血盟軍消滅後も
すでに一線を退き前座で客を沸かせていたジャイアント馬場に
敵対するポジションで定着。

この頃からコミカルなマイクパフォーマンスが話題となり始める。


そして国際血盟軍消滅後は、敵対する馬場とマイクで連日共闘をアピール。

馬場を一方的に兄貴と宣言し、ついに兄弟タッグまでもが実現した。



こうしてラッシャー木村のマイクパフォーマンスは
全日本プロレス前座の名物にまでなり、
ラッシャー木村といえばマイクパフォーマンス、
マイクパフォーマンスといえばラッシャー木村
という図式が完成した。





馬場の死後は2000年に三沢光晴らとノア旗揚げに参加も、
2003年に体調不良を理由に戦線を離脱。

2004年にビデオレターで引退を表明した後、
表舞台から姿を消していたが、
人知れず闘病生活を送っておられたのだろうか…。





いわゆる華やかなスター選手ではなく、
ともすれば不器用で暗い印象もあるラッシャー木村だったが、
ジャイアント馬場さんが掲げていた
「明るく激しく楽しいプロレス」のキャッチフレーズの
「激しい」プロレス人生を歩み
「明るく」「楽しい」の部分を担っていたことは間違いない。


天国で馬場さんとゆっくり語り合ってください。





ラッシャー木村
(木村政雄)

1941/6/30 - 2010/5/24
享年68歳

ご冥福をお祈り致します。










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