近頃何故だかLOUDNESSが聴きたくなったりすることがたまにあって。
Youtube でも観たりしてたんだけど、
一覧に樋口さんの告別式で
高崎さんが弔辞を読んでいる映像 があってね…。
あー、もうすぐ丸3年なんだなーって。
その映像観たのはこの度が初めてで、
やっぱりグッと詰まったというか、やりきれないよね…。
そして今日、11/30が3回目の命日だった、と…。
LOUDNESS や樋口さんに対する正直な気持ちは以前書いたけど、
こうやって普通に思い起こして聴いてるんだから、
改めて言うまでもなく、その存在が如何に大きいかっていうことだよね。
語弊があることを恐れずに書くならば
LOUDNESS ってどこか「懐かしい」
という感覚があったりするんだけど、
それは古いとかそういう意味ではなくて、
なんだろ、現在進行形でも「懐かしい」って感じるっていうか、
それは安心感や郷愁感に近い感覚なんだろうか!?
言い返せば、それはそこに行けばいつまでもあるもので、
つまりは永遠に消えてなくならないような存在というか、ね。
上手く言えないけど、
ともかく樋口さんがいなくなったというのが
何だか未だに嘘のようだなーってね…。
LOUDNESS は音楽性も変化していったし、
メンバーも入れ替わって、再結成もした。
そういう大きな変化や時間の流れもあったはずなのに、
何故かアメリカ侵攻の頃の姿が
心の中から消えて無くならない。
「懐かしい」どころかいつもそこにある気さえしてしまう。
だけれど何だか「懐かしい」ような、
矛盾するようだが、非常に不思議で特別な存在とでもいおうか。
ダメだ…。
書いちゃってからなんだけど
やっぱり「懐かしい」じゃ語弊があるかな…。
LOUDNESS の音楽は未だにエキサイティングに感じるし、
別に今の時代の音楽に引けを取ることもない。
それはハッキリと言える。
それはね、タッカンの弔辞でも言われてた
ひぐっつぁんが拘った部分があったこそ、なんだと思う。
それを改めて言いたかっただけ…。
樋口宗孝 万歳!
えっむ・ぜっ・えー!
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