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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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日本を代表するトップヒールレスラー、上田馬之助氏が
2011年12月21日、急死した。

上田さんは自宅で果物を喉に詰まらせ病院に搬送されたが、
病院到着時にはすでに呼吸はなく、窒息死だったとのこと。

71歳だった。





新日本プロレスオフィシャル


Sponichi Annex





上田さんは1996年に高速道路でワゴン車に同乗中
トラックに追突される交通事故に遭い、
脊椎損傷の大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされていた。

一般人だったら即死だったと思われるほどの大事故だったが、
レスラーの強い生命力でなんとか一命を取り留め、
以降懸命にリハビリ生活を行っていたが、
そんな中での突然の死となってしまった。





参考
「ふたりでひとり」
(夫人著書籍)





+++++++++++++++++++++++++++++++





上田さんは大相撲を廃業後、1961年に日本プロレスへ入門。

日本プロレス崩壊後はフリーとして
新日本、全日本、国際の各団体や、アメリカでも活躍。

プロレス黄金期には元祖日本人ヒールとして
「まだら狼」「金狼」のニックネームで暴れまわった。





そんな上田さんへの印象として一番強く残っているのは、
世間でよく言われるタイガー・ジェット・シンとの狂乱のタッグや
前田日明の蹴りを受けきったシュートの強さ
ではなく(もちろんそれもなくはないのだが)、
日本プロレスのクーデター、「猪木、会社乗っ取り」事件。



力道山亡き後の当時の日本プロレスは腐敗しきっており、
豪遊し散財する幹部の不透明な経理、経営に
異を唱えたアントニオ猪木を中心とした一部レスラーたちが
自らの退団と引き換えにそんな経営陣の退陣を要求する計画が
秘密裏に進行していた。

その計画は何者かによって会社に密告され
未遂に終わってしまったという大事件だったのだが、
その密告者こそが上田馬之助だという説があった。


猪木さんはその事件をきっかけに日本プロレスを除名、追放処分となり、
新日本プロレスを設立、旗揚げ。

馬場さんも日本プロレスを退団し
全日本プロレスを設立、旗揚げ。

そして日本プロレスはそのまま崩壊した…。



子供の頃、
「プロレススーパースター列伝」
というドキュメンタリータッチのプロレス漫画が大好きで、
その「馬場・猪木編」でもこの事件が大きく取り上げられていたし、
他資料等にも大方「犯人は上田」とほぼ断定されていたこともあり、
上田馬之助に対するイメージはそんな裏切り者としての印象が強く、
裏も表も悪役そのものじゃないかということで、
存在自体のインパクトが非常に大きかった。


プロレスだからどうだ、とかそういう問題ではない。

何よりもその当時猪木さんがクーデター(と呼ぶかどうかは別として)
を起こそうとしたことは事実であり、
誰かが裏切ったこともまた事実なのである。



もはや今となってはその「密告者」が誰だったのかを
完全に証明することは無理だが、
わかっているだけの後の各証言や状況からして
「犯人」は上田ではなく馬場だったとするのが正解だろう。

もちろん上田がこの件に何も関係していなかったわけではないとは思うが、
馬場が犯人であったことに間違いはないだろうし、
上田は内外に向けてまさに「悪役」を見事に演じきったことになる。


とにもかくにも子供だった私の上田馬之助に対するイメージは
この件で強烈に決定づけられたのだ…。





ね、プロレスっておもしろいでしょ?


ということはまたの機会に置いといて…。





+++++++++++++++++++++++++++++++





気がついたらいわゆるメジャー団体に出なくなり、
IWAなどインディ団体を転戦するようになり、
そうした中に事故に遭い、
自ら意図することなく引退を余儀なくされてしまった上田さん…。


ヒールとしてのイメージを大切にし、
歴史に残る大事件にも関わった影を落とすなど
ひときわ異彩を放ったが、
そのプロレス観も独自のものを持っており、
それはプロレスラーであることの誇りと
強いプロ意識からくるものもあったのだろう。


そういったミステリアスな要素とは裏腹に、
実は真面目で人思いの優しい人だったというエピソードも多数ある。


そしてその存在の大きさを語っているのが
大分にあるプロレス団体 「プロレスリングFTO」 には
本人公認の後任(!?)「二代目上田馬之助」が存在し、
また新日本プロレスで活躍する 矢野通 のキャラクターの一部は
上田さんに対するオマージュと容易に推測できるという事実。


「事故に遭わなければ…」と
たらればを言っても始まらないが、
表舞台に出る機会もまだあったとは思うし、
語るべきことももったあったはずだ。


事故の報を聞いたときも驚いたが、今回もまた然りで
なんともはや、やるせないものである…。





今頃は力道山に挨拶にでも行っているんだろうか!?


古きよき昭和の時代の生き字引がまた一人いなくなってしまったことは
本当に悲しい。





上田馬之助
(本名:上田裕司)

1940/6/20 - 2011/12/21
享年71歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...
















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