黎明期の新日本プロレスを支えた「突貫小僧」こと星野勘太郎氏が
2010年11月25日、入院先の病院で肺炎のため死去された。
67歳だった。
新日本プロレスオフィシャル
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星野さんは1961年に日本プロレスへ入門。
日本プロレス崩壊後は、アントニオ猪木の新日本プロレスへ移籍。
1995年に引退後は、地元神戸でプロモーターとして活躍された。
星野さんといえばやはり
山本小鉄さんとのタッグチーム、
「ヤマハブラザーズ」が有名。
「ヤマハブラザーズ」は1967年にアメリカ遠征で結成されたため、
「小さくても力がある」というヤマハのオートバイから命名されたが、
2人にはこれ以上ないピッタリな名前だった。
星野さんの場合は小鉄さん引退後も現役を続行していたため、
子供の頃からよく観ていた。
小さい体でのコミカルな動き、水色のショートタイツは
なかなか強烈な印象を放っていた。
そして体格を補うかのような喧嘩屋的な気持ちの強さは
まさに「突貫小僧」であった。
最近では「魔界倶楽部総裁」として表舞台にも復帰、
「ビッシビシいくからな!」のキメ台詞で
現役時代を知らないファンにも注目を集めたことは記憶に新しい。
そんな元気な姿を見せてくれていた星野さんだったが、
2009年2月に脳梗塞で倒れ救急車で病院に搬送。
専門の病院でリハビリを続けていたが
(
復帰を応援するTシャツも作成されていた)
今年8月には盟友、山本小鉄さんのまさかの訃報に
大変なショックを隠し切れなかったとのこと。
そしてまだ3ヶ月しか経っていないというのに
自身もこんなに早くその後を追うようなことになってしまうだなんて
本当に言葉が出ない。
今猪木さんとの関係がどうなっているのかはわからないが、
小鉄さん同様、心身共に猪木さんを支え、
古き良き新日本の伝統、ストロングスタイルを作り上げ
伝えてきた存在が、また一人逝ってしまっただなんて本当に寂しい。
天国の小鉄さんと昔話に花を咲かせてください・・・。
星野勘太郎
(本名:星野建夫=日本通名=在日コリアン)
1943/10/9 - 2010/11/25
享年67歳
ご冥福をお祈り致します。
Rest In Peace...