忍者ブログ
~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
| Admin | Write | Comment |
author
Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
calender
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
search in this blog
archives
recent comments
[12/31 通りすがりの老女A]
[12/20 みついろ]
[12/20 M☆SPLASH@mika]
[12/14 英二]
[12/07 通りすがりの老女A]
for mobile
twitter
add
久々にミスドを頂きました。











しかしリラックマはすげーなー…。


恐らくもうキティ並みの地位は万端というか、
単純に近年の売り上げだけだともう抜いてるんじゃないかな!?



そっちかよって?


いやいや、中身食べちゃって
これ単なる空き箱なもんでつい…。



っつーことでドーナツは最高だぜ!










PR
気がつけば前回見てから数ヶ月経過していた
「新東京タワー」こと「東京スカイツリー」


スカイツリー親善ロッカーの私ですが、
あっちの方に行く機会もそんなにないからなー…。



ということで久々に通りかかったので写真撮れたけど、
今回は初の夜間!









白髭橋より。


川に映っているネオンが綺麗だけど、
スカイツリー本体はまだライトアップされているわけでも何でもないのでね…。

スカイツリー知らないと何がなんだかかもね…。



2010年11月06日現在で497mと発表されているけど
現時点では497mのままなのか
さらに成長中なのかは不明。


しかし前回見てから約60mも成長しているわけで、
それは暗くても「また伸びたなー」ってちゃんとわかったほど。



また明るいときに拝みたいね。

そんときはまた伸びてるんだろうなー。










先週末で2010年シーズンも遂に終幕を迎えてしまったmotoGP。



最終戦ヴァレンシアGPは、地元のスペイン人の
ホルヘ・ロレンソが優勝。


ロレンソは序盤8番手まで後退、
途中シモンチェリとの激しいバトル中に接触し
あわや転倒というシーンもあったが、
流石は今シーズンのチャンピオン。

意地の優勝、終わってみれば快勝だった。



2位はドゥカティ ラストランのケイシー・ストーナー。

そして3位はヤマハ ラストランとなるヴァレンティーノ・ロッシ。


来年ロッシのチームメイトとなるニッキー・ヘイデンは
途中までかなりいい走りをしていたのに、
単独転倒でリタイア…。

嗚呼、ニッキーよ…。



まあそんなわけで、最終戦に相応しい
内容の濃い面白いレースであったことは間違いない。





シリーズチャンピオンのロレンソは、これで今季9勝目をマーク。
ロッシの持つシーズン最多表彰台獲得記録(16回)に並んだ。


そしてこちらもロッシの持つシーズン最多獲得ポイント記録(373ポイント)は
見事更新(383ポイント)。



一方のロッシはヤマハでのラストランを終えると
M-1に抱擁し別れのキスを。

パフォーマンスであろうが何であろうが、
やっぱりこれはウルウルきたよ。



普段はやらないけど、出回ってるし記念なんで、
ちょっと写真をヤマハオフィシャルから拝借。

















以上、ヤマハオフィシャルより。





それにしてもロッシ君はやっぱり最終戦まで走りぬいたね。


肩の手術のために最後の数戦を切り上げる説が濃厚で、
どの時点でスキップするかが注目だったけど、
ヤマハラストイヤーを途中で投げ出すかたちで終えるのは
嫌だったんでしょう。

まあ、いろいろあったんでしょうが…。





というわけでヤマハの3年連続3冠達成
(ライダー、チーム、コンストラクター)と
今年も終わってみればヤマハイヤーだったと言えるわけだが、
注目すべきはやはり来シーズン。

俗に言う「ストーブリーグ」というのに突入ということでしょうか。



気になる主な布陣は固まったよう。



早くからケイシー・ストーナーの移籍が決まっていた
ホンダ・ワークスは、いろんな噂があったけど、
結局はダニ・ペドロサとアンドレア・ドビチオーゾの
2人ともが残留のため、3台体制となる模様。



moto2クラスのチャンピオン、トニ・エリアスが
ホンダのサテライトチーム、LCRでmotoGPクラスに復帰。


LCRに所属していたランディ・ド・プニエは
ドゥカティのサテライトチームへ。



同じくホンダサテライトのグレッシーニホンダ所属の
マルコ・メランドリが、スーパーバイクへ移籍。

とうとうGPを去ることになった…。

マルコ、お疲れ様。

そして新天地での活躍を期待しています!


マルコ・シモンチェリはグレッシーニに残留。


そしてかつてのシモンチェリのライバルで
シートを失いかけていた青山博一がメランドリの枠に。



ヤマハワークスはロッシの枠に
今年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した
ベン・スピースが昇格。

王者ロレンソとの2台体制。


ちなみにロッシがヤマハを去ることで
フィアットとのスポンサー契約も終了するとのことなので、
来季はヤマハのチーム名が変わるのか。



そして注目すべきはやはり
ヴァレンティーノ・ロッシのドゥカティ移籍。

残留してチームメイトとなるニッキー・ヘイデンとも
何かと縁があるし、いいチームじゃないかな。


当初はヴァレンティーノ一人での移籍ということだったが、
結局はジェレミー・バージェスを筆頭とした
チームスタッフも引き連れていくかたちになったようで、
ファンとしては一安心。


そしてそのドゥカティに乗るヴァレンティーノを
いつ見れるのかとわくわくしていたら、

なんと!


最終戦まで休まず走りぬいたからか、
ヴァレンシアのテストで早くドゥカティに乗ることを
ヤマハ(というか古沢氏?)が許可したということで、
早くもDucati D16に乗るヴァレンティーノ・ロッシを見ることができた!!!

このために最終戦まで乗ったのか、
乗ったからヤマハがご褒美をくれたのかは定かではないが…。

いずれにせよ、これで表向きも円満退社。

しかしまだ「乗るだけ」で
「意見してはいけない」
という条件つきらしいけど…。



とりあえずこれもすでにたくさん出回ってるし、記念なんで、
motoGPオフィシャルから拝借。











動画も見れます!



まだ黒いカーボンのままで赤いマシンではないけど、
物凄い迫力が伝わるというか、単純にカッコいい!

黄色の46番が輝いています!



そしてこれが赤くなる姿をいつ見れるのかと思っていたら
イタリアを中心にか(!?)
パロディ画像がたくさん出回っているようなので、
まあ時効だろうし、ついでなんで。









ナンバーからヘルメット、グローブ、つなぎまで
よく合成されているけど
これは本当はニッキー・ヘイデン。








こっちはわからないけど、
恐らくケイシー・ストーナーじゃないかな?



ほんと、ようやるわーと思いつつも、出来がいいので騙されてしまいそう…。

やっぱりイタリア人にしてみれば、
イタリア人の帝王がイタリアのバイクに乗って
結果を出してキャリアを終えてほしいという
期待が大きいことの表れなんだろうな…。





ということでシーズンが終わってしまって
しばらくはレースが観れないと思うとやはり寂しいけど、
オフフシーズン中にしっかりと備えて
来シーズンを楽しみに望めるようにしたいと思います。










ここでも何度かネタには出している赤いストラト。



大変なことになっているため
ケースに入れて片付けたまま、

早・・・どのくらいなんだ…!?


恐らく間違いなく年単位だけど…。



何故だか最近、シングルコイルの音が恋しかったり
ちょっとしたきっかけがあったりしてね。


意を決してケースから出してみたけど、

大変なことというのは・・・











初公開!

コイツがそのブツなわけど・・・



一番問題なのはこのヘッド。


本来ならばボディと同色のカラーが美しいのだが、
ご覧のとおり見事に剥げている。


そしてもう少しでFenderのロゴまでヤバイ。

というかすでに下から見たら侵食しているのがわかるほど。



なんだかんだでやっぱりギターはロゴが命なので、
そのロゴまでいっちゃうのが怖くてしまいっぱなしだったわけだけど、
そろそろ真面目にコイツをどうにかしようかなと。


他にも電装系など、メンテが必要なわけだけど、
それ以前に今のままじゃ触るのも怖いからね。


それでまた片付けてしまうという悪循環が生まれるだけなんで、
まずは取り扱いに問題がなく
弾く気になる状態にしてあげないとなーと…。


つまりはヘッドの保護ですな。



さーて、どうしたもんかな…。

ま、ゆっくり考えるとしよう…。










かつての「ジャイアント馬場 全日本プロレス」
で名レフェリーとして活躍したジョー樋口氏が
8日午前5時38分、肺腺がんのため死去された。

81歳だった。





プロレスリング・ノア オフィシャル


スポーツ報知





ジョー樋口氏は1954年に山口利夫の全日本プロレス協会
にレスラーとして入門。

全日本プロレス協会崩壊後、力道山の日本プロレスに移籍。

1960年に引退するも、1963年から通訳など世話役として日本プロレスに復帰。

1972年、日本プロレスを離脱したジャイアント馬場の全日本プロレスに
旗揚げから参加。

以降、名レフェリーとして活躍することに。

1999年、ジャイアント馬場の死を機に全日本プロレスを退社。

2000年、全日本プロレスからほとんどの選手が離脱し旗揚げした
三沢光晴のプロレスリング・ノアに監査役として参加。

ノアのタイトルであるGHCのタイトル管理委員長を務めた。





+++++++++++++++++++++++++++++++





また一人、昭和の伝説が逝ってしまった…。


プロレスゴールデンタイム世代にとっては
「レフェリーといえばジョー樋口」
という人は多かったと思う。


NWA全盛の当時として、日本人でNWA公認レフェリーだったのは
当初ジョー樋口だけではなかったか。

子供心にその肩書きには説得力があったし、
目を引くスキンヘッドとしばしば乱闘に巻き込まれたりと、
インパクトも強かった。

そしてその絶妙なレフェリングで数々のドラマもつくり上げたりと
まだプロレスが熱かった時代において
ジョー樋口の存在は欠かせないものであった。


その存在感の大きさ、人気はレスラー並みで、
全日本プロレスでの後年は、選手コール後、リングアナの
「レフェリージョー樋口~」
の紹介で、会場に
「ジョー!」コールが巻き起こるのが当たり前にもなった。


近年はノアのタイトルマッチの際に
タイトル管理委員長としてリング上に姿を見せ、
認定証を読み上げた後に
「ジョー!」コールが起こるのも定番になっていた。





そんな未だに愛されているレジェンドが逝ってしまっただなんて、
本当に寂しい…。





ジョー樋口
(本名:樋口寛治)

1929/1/18 - 2010/11/8
享年81歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...










≪ Back   Next ≫

[143] [144] [145] [146] [147] [148] [149] [150] [151] [152] [153]

Copyright c Diary of a Madman 2?。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By Mako's / Template by カキゴオリ☆
忍者ブログ [PR]