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~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
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Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
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motoGP 2010
moto2クラスに参戦中の日本人ライダー
富沢祥也がレース中の転倒事故により死亡した。

若干19歳だった…。





富沢祥也オフィシャルサイト


富沢祥也オフィシャルブログ


プロフィール (motoGPオフィシャル)


死亡記事 (motoGPオフィシャル)


死亡記事 (時事通信)


ホンダ所属ライダーのコメント (ホンダオフィシャル)


ヤマハ所属ライダーのコメント (ヤマハオフィシャル)





富沢は全日本ロードレース選手権を経て
2009年よりロードレース世界選手権(motoGP)に参戦。

250ccクラスにエントリーし年間17位の結果に。



この年で250ccクラスが閉鎖されると
今年2010年は新設されたmoto2クラスよりエントリー。


そしてそのmoto2クラス初のレースとなる
注目の開幕戦、カタールGPでは
なんと記念すべき新カテゴリーでの初レースを優勝で飾るという
歴史に残る快挙を成し遂げた。



この初優勝を機に、今年は昨年を上回る活躍が期待されたが、
転倒などの事故も多く懸念材料ともなっていたところでの
最悪の結果となってしまった…。





2010年9月5日(日)
イタリアはミサノサーキットで行われた
MotoGP 第12戦 サンマリノGP
moto2クラス 決勝レースで
富沢は8番グリッドからスタート。

4ラップ目にはトップに躍り出るなど
トップグループで走行していたが、
12ラップ目に転倒。

後続ライダーをも巻き込む事故に発展。

富沢はそのまま後続ライダーにひかれるかたちになり、
頭部、胸部、腹部を負傷し病院に搬送されるも
帰らぬ人となってしまった…。



+++++++++++++++++++++++++++++++

<追記>
接触してしまったリーディングとデ・アンジェリスの容態とコメント
(motoGPオフィシャル)

+++++++++++++++++++++++++++++++





くしくも1週間前の8月29日、インディアナポリスでは
motoGPと同日同所での開催となった
12~18歳を対象とした
「United States Grand Prix Racers Union (USGPRU)」
に参戦していた13歳のピーター・レンツが
ウォームアップ走行中に転倒、
他のバイクにはねられ死亡するという事故が起きていたばかりだった。





富沢はキャラクターもよく、
レース後のコメントではいつも前向きかつ
屈託のない素直な語りっぷりで、
微笑ましさすら感じられる好感の持てる若者だった。


将来を担うライダーとして期待していただけに、
なんとも筆舌に尽くしがたいやるせなさでいっぱいである。



10月に延期になった
もてぎで開催される日本GPでの凱旋まで
もう間もなくだったというのに…。





富沢祥也

1990/12/10 - 2010/9/5
享年19歳

ご冥福をお祈り致します。



Shoya Tomizawa

May He Rest In Peace...










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「鬼軍曹」小鉄さんといえばやっぱり道場なので。



新日本プロレスはシリーズ中で本日も愛知で試合ということで
あえてひっそりとしているであろう都内某所の道場をひっそりと「参拝」。











元々は猪木さんの自宅だったということで、
新日本旗揚げ時に猪木さんが自宅を道場と合宿場に改装。

そのため閑静な住宅街の路地に道場が。

以来、現在に至る。





プレハブ内にはリングが。









新日本といえばライオンマーク。
そのライオンマークを考案、デザインしたのも
小鉄さんだったらしい。









道場の扉に描かれたライオンマークは
誰の手によって描かれたものだろうか?





「プロレスラーは舐められたら終り」



それが小鉄さんの口癖であり、信条だった。


その原点はまさにこの道場にある。



今のユークス新日本にもどうかそれを忘れないでいただきたい。






















えー、今月なんですが、
AXBITESさんのワンマンライブに
参加させていただくことになりましたので
告知をさせていただきます。





+++++++++++++++++++++++++++++++

7th ANNIVERSARY ONE-MAN SHOW
[Do you have an AXBITES?]


AXBITES 7周年記念ワンマンショー



2010年9月19日(日)
目黒 THE LIVE STATION

Open : 16:30
Start : 17:00

前売り : \3,900-
当日 : \4,400-



チケットのご予約やお問い合わせは
AXBITESさんまで。

その他何かあれば私、ロナルドまでお気軽にどうぞ。

+++++++++++++++++++++++++++++++





サプライズな感じというのか、
練馬チックとでもいうんでしょうか…!?

当日はそんな感じでちょこっと出演させていただく予定でございます。



私自身、ステージに立つのが昨年5月以来になるのかな…。

なかなかの久々となりますので
今からかなりいい感じの緊張感に包まれておりますです…!



ということでよろしければ是非!

よろしくお願いします。










猛暑だか残暑だか酷暑だか知らないが
とにかく暑い。



9月になったし、ちょっとは涼しくなったような気も
もしかしてしたとしても…

・・・

それは気のせいです。

もしかしてますので、ハイ…。





んでまあ暑いといえば冷房器具。



うちは古いエアコンでしのいでいるわけですが、
扇風機がほしいなと思うこともしばしばで。


よく、エアコンだけじゃなくて
扇風機も併用した方がエコだとか言うし、
実際に扇風機みたいに
もろ「風」と感じられる風が感じられた方が
体感的にも暑さが和らぐとも思うしね。





でも、これまで我が家に扇風機を導入しなかったのには
確固たる理由があった。


それは、超絶愛煙家だったからです、ハイ!



扇風機なんて使っていると
タバコの灰が舞うからね。

オマケにその辺の物はバタバタ動くは。

逆に鬱陶しいだけ。


だったらエアコンガンガンにかけっから
扇風機なんていらねーや!

ってなるやね。





しかし皆さんご存知かどうかはわかりませんが、
私、一応禁煙が続いております。

敢えてまだ
「タバコを止めた」
とは書きませんが…。

まあその辺はまた気が向いたら書くとして…。



とにかく昨年の夏には確実に紫煙が舞いまくっていた我が家も
今年は富士山が見えるんじゃないかというくらい(…大嘘)
空気が綺麗になっている(はず)なので、
これまで発想になかった「扇風機待望論」が
私の中で沸き起こってきたのです!





なーんて言いつつも
今年は時期的にももう我慢かなーとも思っていたら…!

ラッキーなことに
「いらないけどほしい?」
ってもらえることに!



いやいやいや、これだけ暑いとマジで助かります。



そして我が家にやって来た扇風機君がこちら。










どうよどうよ??


従来の円形回転タイプじゃなく、
新世紀縦型のこのフォルム!

凄くね??



え?

今はこれが当たり前なの?


・・・


つか新世紀とかって表現がすでに古いよね…。



まあいいじゃん。


「旋風貴君」

と命名しよう。





んでまあね、お持ちの方ならわかるとは思うんですが、
機能面は意外に質素でしてね…。



まず安定が悪い。

触るとなんかグラつきます。



音がなかなか豪快。

でも肝心の風が結構遠慮がち。



そしてカバーする範囲が極端に狭い。

風が縦長に出てきて、しかも高さがない。



ということでこれ単体で使おうと思ったら
ちょっと厳しいね。


やっぱりエアコンの補助として、がベストだね。





いやいやしかし、その補助でもなんでも
ないよりあった方が断然助かるわけでね。



寒くなるまで旋風貴君と共に頑張るぜ!










新日本プロレスの鬼軍曹として知られる山本小鉄さんが、
2010年8月28日 午前6時42分
旅行先の軽井沢で死去された。

死因は喉の不調からの窒息による
低酸素脳症とのこと。

68歳だった。





新日本プロレスオフィシャル


SANSPO.COM


sportsnavi





小鉄さんは力道山最後の弟子として1963年に日本プロレスに入門。

1972年にはアントニオ猪木の新日本プロレス設立に参加。



選手としては星野勘太郎とのタッグチーム
「ヤマハブラザーズ」としての活躍が有名だが、
小鉄さんの場合は、指導者としての印象が非常に強く、
引退後も厳しい練習で数多くの選手を育て上げてきた。


以来、新日本の道場を守ってきた「鬼軍曹」として現在まで知られることに。





小鉄さんは団体創設時から
猪木さん、新日本を支えた陰の立役者、屋台骨として、
現在まで新日本プロレスにはなくてはならない存在だった。



昨今いろいろな激震が走り変貌を余儀なくされてきた
新日本プロレスにおいて、
小鉄さんがいたからこそ、
ストロングスタイルの核、プライドが保てていたんだと思う。



良くも悪くも猪木さんが去り、ユークス体制となってからも
創設メンバーであり伝統を伝える鬼軍曹小鉄さんは
新日本プロレスファンにとっては
その存在自体が最後の良心であり、砦だったのだ。


その存在がいなくなってしまったこと、
その死の意味はあまりにも大きすぎて計り知れない。





新日本プロレスには
猪木イズム、ゴッチイズムと同じくらい意味のある
小鉄イズムをこれからもしっかりと継承させてほしい。



小鉄さん、どうもありがとう・・・。





+++++++++++++++++++++++++++++++





新日本プロレスオフィシャルサイトには
多くの関係者のコメントや情報などが
多数掲載されています。



2010年8月

2010年9月(恐らくこれから何かしら掲載されるはずです)



また、9/3後楽園大会は小鉄さん追悼大会となるようです。





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新日本プロレスとコラボしているアメーバピグでは
登場していた小鉄さんキャラを
これからも登場させるとのこと。

















ありがとう小鉄さん・・・。

安らかにお眠りください…。





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山本小鉄
(山本勝)

1941/10/30 - 2010/8/28
享年68歳

ご冥福をお祈り致します。



Rest In Peace...










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