忍者ブログ
~ 迷える子羊ならぬ 迷えるメシアの戯言 ~   "狂乱の貴公子" The Messiah, Ronald Oscar のブログ(仮)
| Admin | Write | Comment |
author
Ronald Oscar
神聖ゴルゴタの陸メタルの会総帥 / KILLING ROSE リーダー(Vo/G)
calender
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
search in this blog
archives
recent comments
[12/31 通りすがりの老女A]
[12/20 みついろ]
[12/20 M☆SPLASH@mika]
[12/14 英二]
[12/07 通りすがりの老女A]
for mobile
twitter
add
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

X は嫌いでした。


少なくともデビュー当時~沢田泰司脱退くらいまでは。


その後は好きとか嫌いとか以前に
まったく関心がなかったので
よく知らなかったです。


何回か書いていると思うけど、
死んだ人と洗脳された人の
違いがわかってなかったくらいなので…。


今は…まあ好きなんだろうね。


その辺は今回は置いといて…。





で、今回はその死んだ方の人のお話というか
全然そうでもないというか。


大した話ではないです。



彼が如何に偉大だったのかは
そういうわけで私にはちゃんと理解はできていません。


しかし彼が未だに絶大な影響力を誇り
人々に愛され続けているという事実は
よく理解できています。


毎年この時期になると
必ず彼の何らかの話を聞きます。


彼は何故死んだのか。


警察は自殺と断定したけど
多くのファンはそれを認めいてない。





一方、別の「死んだ方の人」というか、
沢田泰司の場合も自殺とされているのかな!?


正直彼の死には謎が多すぎて
事件性が隠されているというか
何かが隠蔽されているとしか思えない。



いずれにしても、ソロとしてのキャリアも順調で
死ぬ要素なんてなさそうだった松本氏とは対照的で、
沢田氏の場合は頂上に上り詰めてからの落差が激しすぎた。


あえて語弊がある言い方をすれば、
彼の場合はいつ死んでもおかしくなかったのかなと。


晩年に X のライブにゲスト参加したことと
その死に方があまりにも不可解すぎたために
一部では大きな騒ぎとなったけど、
もし X のライブに参加しなかったら、
もし海外での不可解な死ではなく
国内での自然なかたちでの死だったら、
もっと静かに息を引き取っていたんじゃないかな
とは思う。





「死んだ方の人のお話」どころか
「別の死んだ方の人のお話」
になりかけてますが、
まあどっちの話ということでもなく…。


別に何かが言いたくてこういう話を書き始めたわけではないんだけど。


自分の場合はどっちかといえば
沢田氏に近い最期なんだろうなというか、
事件がなかった場合の沢田氏というか。



毎日たくさんの人が死んでいて
惜しまれつつ死んでいく人もいれば
人知れず息を引き取る人も多数いて。


自分は元から死ぬときは
何もなかったかのようにいなくなりたい
って思ってはいるけど
人間死んでもそう簡単にはいかないというか。


無縁墓地みたいのに適当に葬ってほしいけど
現実問題死んだ後のことは自分ではどうにもできないし。


このまますぐ死ななかったことを考えると、
最終的に誰に迷惑がかかるのかなと考えた時に、
それはいけないなーと。


迷惑のかけ先ということを考えると、
だったら今すぐ死んだほうがまだマシなのかなーとか。


なかなか人間死ぬのも簡単じゃない。





松本氏とか沢田氏とか関係ないじゃんって!?


まあ確かに…。


でもそういう他人の死を意識することで
得られることもあると思う。



松本氏に関してはその存在を通して
生というものを見つめ直す
きっかけにもなるのかなとも思ったり。


冒頭にも書いたとおり
彼の影響や偉大さ、彼への愛が
未だに感じさせられることが多々あるし。


そういう人ってどういう人なんだろうって
単純に興味もあるし。


そうではない自分はどうすべきなのか
何かヒントがあるのかもしれないし。





物凄いどうでもいい話だけど、
大昔ちょっと雑誌のライターをしていた頃、
一緒に仕事していた人が横須賀出身の人で。


松本氏のご家族とツテがあるとかないとかで。


まあいろんな事情があったんですが
そんな話から彼の本を出すって言ってて。


その際には手伝ってくれということで、
それが上手くいけば新しい雑誌を創刊して
そのメンバーとして参加する
っていう話があった。


まあその話はなかったことになり
当然新しい雑誌なんて発刊されなかったんだけど。



まあ随分古い話ではあるけど、
そう考えると存在を意識するきっかけは
相当前からあった
っていうことなんだよね。





そういえば一度だけ命日に築地本願寺に行ったことがある。
といっても外までだけど。


どうでもいいけど身内の命日が松本氏と1日違いで
築地本願寺には法事に出向いたことがあるけど、
そのときのほうが混んでたくらい、
当日は意外と普通だった。


それでも毎年訪れるマニアもいるんだろうし。


三浦霊園には一回行きたいとは思ってるけど
遠いし、なかなかね…。


まあもっと彼のことを知った後でも遅くはないでしょう。





最後にどうでもいいけど
実はモッキンバードは好きです。


でもエックス野郎と同じギターなんて弾けるかよ!
と敬遠していた若かりし頃…。


まあもっともギターのシェイプに関しては
当時からフライングV はとにかく別格だったので。


でも今モッキン弾いてる人見ても
やっぱり彼を連想するよね、単純に。


マイケル・シェンカーのフライングV バリだよね。


やっぱりそれって物凄い影響力だと思うよ。





とまあとりとめもなくなんとなく書いてみましたが、
彼は死にたかったのかどうなのか、
やっぱりそこは知りたい。










emoji










PR
今夜は満月と木星がもっとも接近する
天体ショーということで。


久々のスカイツリーと。
















スカイツリーはよくわからない特別カラー。



以下、オフィシャルより。

「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」の公開を記念して、「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」をイメージした特別ライティングを点灯します。特別ライティングは劇中で6つ集めると全宇宙を滅ぼすほどの力を得られるといわれ、最凶最悪の敵サノスが狙うインフィニティストーンにちなんで心柱を6色の光で彩ります。



ということで映画とのコラボらしけど。


だから?
というか
なんだかなーと…。





でも満月と木星が本当に綺麗で。


この写真ではわかりづらいけど
木星は肉眼でもハッキリとわかる輝きで。
(月の下に見える点です)


なんかホクロみたいに常に気にはなってたりして。


なんか表現悪いかな!?


悪い意味ではない。





ということで天体はとてつもない次元で動いているわけで。


地球なんて、人間なんて
ちっぽけもいいもので。


消えても何の影響もないのだ。


でもなんで消えないんだろう!?


存在意義って一体…!?










emoji










ここ数年、『断捨離』っていうのが流行ってるのかな!?


でも個人的には考え方としては10年くらい前からは
そういう傾向があったので、
なんか流行って嫌だなーって思ったり。


天邪鬼精神ですね、はい。


まあ考え方としてあっただけなので
実行しているかどうかはまた別問題なんだけど。





本当の意味はよくわからないけど、
多分今流行ってる『断捨離』っていうのは
これも今流行の世間でいう『終活』っていうのに近いかなって。


少なくとも通ずるものはあるよね。


でもこれ、つきつめると(独自解釈です)
多分前回書いたことに近いのかもしれないなーって。


つまり究極は自分の存在を消してしまうことなんだろうと思う。


終活ではなく。


計画的にというよりは
もっと直感的にというかね。


衝動性というか。


そうすれば全部解決じゃない!?



残された人が困るかどうかという問題はあるけど、
そこ気にするのはやっぱり終活と違わないじゃんってことだしね。


やっぱり違いはそこだね。


というか勝手に独自解釈してるだけの話
といわれてしまうと否定はできないしな…。


ならば言葉つくるか!?





なーんてことを考えつつも、
今世間で言われているほうの断捨離すらも
できていないけど…。


つーか HP 改修問題や
このブログどうする問題とかも
そういうのに値するし、
それに付随するデジタルゴミが
未だに散乱していたりするので
その辺も整理したいし。



大体ロックファンとかって
元来収集癖があるからね。


この辺は大きな課題であり
一番頭を悩ませているところではある。


その辺に関しては、消えてなければまた今度。










emoji









本来「日記」というものは人様に公開するものではなく。


その内的な「日記」というものが
インターネットの普及と共に
対外的に見られることを前提とした
「日記ツール」に変わって流行り、
それが「ブログ」に発展して。


そして今は「SNS」に取って代わって。


「他人に見られること」
はもちろんのこと、
「他人と交流すること」
が大前提の何かなわけですよね、
昨今流行の SNS というのは。


時として見られないほうがいいことなのに
何故か公開交流して面倒臭いことになったり…。



で、そういうのが得意ではない私としては
時代にそぐわなくもなり。


ここくらい過疎になると
逆に本来の意味での「日記」に近いものがあるなーと思ったり。


元々備忘録的なものもあり、
公開する必要性のないものでもあった部分もあるし。


人が見てないなら公開する必要もないっていえばないし。


逆にどうせ過疎なら開き直って
もっと書ける内容もあるかもしれないし。


なんてね、過疎だからこそ思う在り方。



しかし以前から閉鎖するかもだの
いや続けるだのいろいろ言っていますが、
やっぱりちょっと考えようかなと。



生存確認とかであってもいいと
思ったりもしたんだけど、
それもちょっと思うところがあってね。


仮に確認はされてもこっちからは何も確認できないしさ。


今みたいに誰も気にしてないうちに自然に消えていくのが正しいのかなって。





死んだらパソコンが初期化されるアプリみたいのがあるじゃないですか。


本人以外がログインしようとしたら
データが全部消えてしまうっていう遺書ツール。


あれじゃないけど、
死後にいろいろ調べられたり詮索されたりするの
物凄い嫌だなーって思ってて。


なんでもいいけどいろいろ整理する部分は
整理しないととかっていつも思ってたりしてるけど、
それって死ぬことを意識してるってよりも
生きてるからこそやる発想だよなーって。


だって、じゃあそれをしっかり備えて死に至りますか?
と問われれば、そんなことないしね。



多分死ぬことを真面目に意識しているというか
生きることに執着しなくなると
そんなことどうでもいいから
今すぐ消えてしまいたいってなるはず。



死ぬ気になれば何でもできる
っていうのも大嘘。


死ぬ気になれる奴は死ぬだけだよ。


だって死ぬ気でしかないんだから。


逆に死ぬ気になれないとそう簡単には死ねない。



その台詞口にする大多数が死ぬ気のない奴ですよ。


「死にたくない」と同義語ですね。


実際死ぬことではなく生きることを考え選択するわけだし。



つまり考える余裕があるうちは
まだ極限の下に眠っている極限や
底辺の下にまだある奈落の底までに
到達していないどころか
その存在すらわかてないわけでね。


まあそんなもの知らないほうがいいわけだけど。



しかしそんなところに到達しようがしまいが
考える余裕も何もなくなって
もうそんなことどうでもいいやって
なるときがあるわけですよ。


でも現時点ではまだ、そんな時に残ってる物が
少なければ少ないほどいいなって
考えられる思考能力もあるとは思うから。


だからそんなうちに消える用意もしておいてもいいかなって。



まあこんなこと書いてるうちは消えないんだろうけど。


しかしそこに本人の意思が介在できる確率は
通常であれば極めて低いしな…。



という「日記」でした。










emoji










『13日の金曜日』ということで
『陸メタルの日』ということで。


まあもうどうでもいいっていえばどうでもいいんだけど、
たまにはブログ書く動機づけというかね。





とりあえず久々に絶叫してきました。


ヒトカラですけどね。(苦笑)


でもやっぱり定期的にちゃんと声出してかないといかんのよね。


普段から心がけて生活しなくちゃなのですよ…。





自分の場合は特別歌が上手いわけでもなく
むしろ歌もギターも下手くそなので
それを補う特異性でもあればいいんだけど。


いや、声に関しては実際あるはずなんですよ、特異性は。


自分の声が変な声であることは昔から認識はしてるけど、
それをどう扱うべきかとかが全然わかってなかったんだな。


年を増すごとに少しずつわかってきてるというか。


まあ年齢と共に声質の変化もあるし
歌い方も変わったと思うし
そういうことも楽しみながら
曲つくっていけたらなーって。


一緒に活動できる才能あるギタリストや
ピアニストでもいればいいんだけどね。


逆にそういう人に「この声欲しい!」
くらいに思われるようにならなきゃダメなんだよな…。



でもね、自分ではよくわからないけど
これでも「いい声してますね!」
なんて言われたことは幾度かあり。


電話でしかやり取りしたことがない人に
言われたこともあるし、
一番凄かったのが仕事の面接の際に面接官に
「いい声してますね~!」
と半ば感嘆されたことがあったり。


あ、それ落ちましたけどね…。


でもどういうわけか変なシチュエーションで
そういうこと言われることあるんだよなー。


ちゃんと歌ってて褒められたことなんてほとんどないし、
ましてや上手い下手以前に自分の声を気に入られたことなんて
果たしてあったのか!?!?!?


まあ、今それを言ってもしょうがないけど、
やっぱりそこだと思うんだよね。


そういう声が少しでも自分に届けば
励みにもなったとは思うけど。


少なくともアピールできる何かはあるんだと思って
気を取り直すしかないな。





まあ流石にある程度年取ってからはないけど
若い頃は自分の声嫌いだったもんなー。


若い頃の自分の中での究極は
デイヴィッド・カヴァーデイルで。


ロニー・ジェイムズ・ディオではなく。


ロニーはなんというか、リッチーもそうなんだけど、
成り得ない理想というかね。


そこまでリッチーに心酔してれば
普通ストラト弾くわけですが、
自分はストラト弾きじゃないでしょ?


ロニーに関してもそんなところかな。


ロブ・ハルフォードに関してはね、
少なくとも若い頃の自分は
素では非常に近いモノを感じていたので
感じ方も他のシンガーとまた異なってくるよね。


しかしデイヴィッド・カヴァーデイルは
どう足掻いても成り得ない声質で。


まあもっと言ってしまえば
ロッド・スチュアートかな。


しゃがれたハスキーヴォイスが好きだったんですよ。


それは今でもだけどね。





あと関係ないけど今だから書けば、
「リッチー・ブラックモアは
ポール・ロジャースのような
デイヴィッド・カヴァーデイルを欲しがった」
という定説が当時の雑誌の紫や虹関係の記事で
頻繁に出てきたけど、
カヴァーデイルってそんなにポール・ロジャースですかね!?


まあそういうことを鵜呑みにさせるような風潮というか
雑誌や編集者や評論家に影響力がありすぎたというか
若かりし入門時にそういうものに影響されすぎたというか…。


人や物のせいにしてもはじまらないけど
結局そういうものを元に正しい判断ができなかった
自分自身に一番の問題があったんだろうし。



なんか話が逸れたけど、
久しぶりに虹だの紫だの書いてて
よく覚えてるなーって自分でも関心したり。





あー、あとここに書いてもしょうがないことを
ついでに百も承知で書くと
私の深紫の嵐を呼ぶなんちゃらのCD、
その筋では某大物ベーシストが持っているはずなので、
できれば返してほしいなー。


急に思い出した。


あ、前にも書いたかもだな。


特に実力社会では実力ない者は惨めってことね…。





そんな惨めなオッサンですが、
今年中に2曲はデモつくりたい。


(え?まだ4月なのに「今年中」ですか…!?)


・・・・・



えー、1曲は実は何年も前にできていて
でも歌詞ができなくて放置してる。


方向性はどっちかと言えば従来どおり。



もう1曲は全然違った方向性。



という青写真は実はもうかなり前からできていて、
HP のリニューアルとかもそれに合わせ行いたかったし
このブログどうしようっていうのもそれに絡めてあったりして。


とにかく青写真であれ何かが見えてるのであれば
そこに向かってみたいと思います。


辿りつけるかはわからないけど…。










emoji









≪ Back   Next ≫

[19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29]

Copyright c Diary of a Madman 2?。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By Mako's / Template by カキゴオリ☆
忍者ブログ [PR]